嘉門タツオの「愛めし」

40回「 オイスターパラダイス  地下の粋」 


築地交差点の角のビルの地下に、牡蠣専門店「地下の粋」はある。オイスターバーと呼ぶようなオシャレな佇まいではない。飲食店街の入口ドア横の、人が行き交う通路にはみ出して簡易なテーブルと丸椅子が配されており、そこで牡蠣を食べるのだ。通って78年になるが、常時10種類前後の新鮮な牡蠣をリーズナブルに満足いくまで食べられる。冬場は真牡蠣、夏は岩牡蠣をメインに、それらが混在する季節のグラデーションを感じるのも楽しい。

オーナーの片又孝幸さんは仲卸水産会社の三代目だ。病院や保育所に食材を卸しながら、築地のビルの1階で小売の魚屋も営んでいた。その魚屋の場所を'08年から夜は居酒屋として営業し始めると、折からのブランド牡蠣ブームで、全国各地の牡蠣人気が沸騰。そこで、空いていた地下のラーメン屋跡を新たに牡蠣専門店にしたら更に当たった。牡蠣が当たるのは宜しくないが、店が当たるのは小気味がいい。そもそも昭和の時代には大雑把に広島産とか宮城産などの区別はあっても、牡蠣を生産地の地名で呼ぶ事はほとんどなかった。最初は三重県の的矢が名を売り、各地の生産者が後を追った。何度も通う内に牡蠣という全体的な記号ではなく、生産地による違いを感じる喜びが生まれてきた。北海道は厚岸や昆布森、東北は宮城の志津川に気仙沼、岩手は赤崎等。寒くなるに連れて産地が西に移行し、兵庫の室津、坂越、山口の才川、長崎の小長井へ。25センチはある夏の伊勢志摩の岩牡蠣のダイナミックさには毎年目を見張る。頭の中の日本地図を追いかけて、その土地の海に思いを馳せながら開けたての牡蠣をジュルッ!冷えたシャンパーニュや白ワインをグビリ!海に囲まれた国に生まれた喜びを感じる。生牡蠣から始まり、蒸し牡蠣、焼き牡蠣やアヒージョへと進み、最後は魚介の骨で取ったスープのカレーでフィニッシュ。片又さんのおじいさんが仲間と始めた魚の卸し業だが、ターレーの無かった創業当時は大八車で魚を運搬していた。何度か伺う中でようやく、地下の粋のメインテーブルが初代の大八車の上にガラスを敷いたものである事に気付いた。3代目は移ろう時代の中で、牡蠣の伝道師として頑張っている。