◆歌手・嘉門タツオさん


 もともとは内向的な性格でした。6人でかけっこしたら6位でゴールするくらい、運動神経が良くなかった。幼い頃って、走るのが得意な方が脚光浴び

ますからね。でも小学2年のお楽しみ会で、自分でつくった漫才を同級生と披露したら爆笑をとって、笑いをとるという居場所を見つけました。

 存在そのものが明るい訳ではなく、試行錯誤をして自分を表現するタイプでしたが、小学校3年の時の担任「吉原先生」がさらに良い面を引き出してくれました。大学を卒業したばかりなのに、マニュアルにない授業をする先生で、図工の時間には「絵の具以外を使って絵を描く」という課題が出されました。僕は母親の香水やパン粉、マヨネーズを使いました。古墳みたいに盛り上がった作品になって、僕の周りだけ異臭を放っていたのですが、先生はおもしろがってくれた。吉原先生にほめられたい一心で、夏休みの読書感想文を13本提出したりもしました。

 吉原先生はアバンギャルド過ぎた。教員の中では浮いてましたね。学校や会社といった集団社会には規則もあるけれど、みんな同じであればいいという発想は違う、ということを教わった気がする。そんな吉原先生が「覚えとけよ」と、よく僕らに伝えていた言葉が「念願は人格を決定す。継続は力なり」。30歳を過ぎたあたりから実感がわき始めました。一つのことだけをやり続けると、それが本当の強さになる。「継続は力なり」よりも前に、夢や目標に対するイメージを持つことって、本当に大事だって思います。

 もう一つ、大きな出来事だったのが小学6年の時に地元で開催された大阪万博です。計21回通いました。パビリオンごとにデザインもテーマも違うのに、バラバラのものが集まると、全体として一つの作品となるのは衝撃でした。これは、後の「替え唄メドレー」なんかの発想につながりました。関係のないサビばかりを脈絡もなく並べても、曲がつながることで意味を持つ。「どんな人間になりたいか」と聞かれたら、僕は「万博みたいになりたい」と答えます。友好的で、歴史も文化も笑いもいっぱい詰まった存在になりたいと思っています。

 今までに2万曲以上は手がけてきました。運動会にドッジボール、プール……学校の思い出は「青春のさくら咲く~スクールセレクション~」というアル

バムでたくさん歌っています。学校には、いつの時代にも共感できる普遍的な

テーマが詰まっている。「アホが見るブタのケツ」という曲は「どこの学校にもこんな”いちびった”やつおるよね」というのがコンセプト。「修学旅行行進曲」の「シカのフン チョコレートと間違える」という歌詞も、奈良公園に行った関西の子どもにはあるあるのネタです。

 子どもたちには好きなことを一生懸命やって、ワクワクを突き詰めてほしい。

僕も好きなことだけをして生きてきました。「念願は人格を決定す。継続は力な

り」です。【石川将来】  

 

 ■人物略歴


 1959年、大阪府茨木市生まれ。府立春日丘高在学中に笑福亭鶴光に弟子入り。

83年にレコードデビュー。90年代に替え歌メドレーが大ヒットし、紅白歌合戦出

場を果たす。