嘉門タツオの「愛めし」
第34回「 阿佐ヶ谷から日比谷へ 鮨なんば」
難波さんと知り合ってまだ僅か4年程だが、これほど急激に上昇展開している職人さんを知らない。
現在はお弟子さんに任せている阿佐ヶ谷の店に初めて伺ったのは2015年の秋だった。2回転目の21時からだと、食べ終われば最終電車ギリギリの小旅行気分だった。鰹に玉ねぎを合わせたり、穴子はカリカリ香ばしいアテとしっとり艶のある握りが出て、それぞれに的確に合わせる純米酒がグイグイ進んだ。しかもお勘定を聞いてビックリ。数ヶ月先の席を確保して中央線のシートに身を任せ帰途に着いた。
何度か通う中で2018年にオープンするミッドタウン日比谷に入ると聞いた。何というジャンプアップ。社会人野球が大リーグに行く様なものだ。オープン直後に期待に胸を膨らませて初訪問した。設えも装飾も風格がある。そして寿司ネタとシャリの温度を品書きに記すという前代未聞の打ち出しをされていた。かねてから全ての食は温度によって良し悪しが決まるとは思っていた。長年温めて来た理想を満を持して実現された力強いメッセージが記されている。「鮨なんばは究極の一貫を目指します。舎利の硬さ、粘度、甘み、塩気、コク。種の切り付け、大きさ、厚み。気を付ける事は数多くあります。その中でも温度が最も大事だと思っております。最良の種と舎利。この二つが寄り添って、なんばの一貫の鮨です。」アオリイカは種が20度、舎利は36度。赤貝は種が15度、舎利は36度。車海老は共に上がって38度。中トロは種が24度、舎利は40度。この日は15通りの組み合わせが書かれていた。現在までの歩みをたずねると、高校時代はバイクが好きなヤンキーな日々で、20歳でたまたま寿司屋にバイトで入る。当初は寿司屋を目指していなかったが、23歳の時にこれでやって行こうと決断してあちこちの店を転々とする。32歳の時に荻窪で独立して5年。阿佐ヶ谷に移転して7年。そして44歳で日比谷進出となった。過去と現在とでは心意気も仕事も全く違うとおっしゃる。無口だが優しく不敵な笑顔の底には、ヤンキー時代に培った反骨精神が見え隠れする。同時代を生きるのが嬉しいと思わせてくれる職人さんだ。