嘉門タツオの「愛めし」

30回「 魂のマリアージュ   四谷三谷」 


   四谷三谷。最長で4年半待ちの寿司屋だ。三谷さんの飽くなき研鑽の先に現在がある。

   千葉県銚子市生まれ。お母さんは水産加工場で働いていて3時のおやつはカツオの佃煮だった。ショートケーキが食べたかったと幼少期を振り返るがやはり魚の道へ進む事になる。大手の寿司屋に始まり百貨店の店舗で職人として働く。ゆくゆく独り立ちしたなら個性を打ち出すそうというイメージは熟成して行った。そして30代半ばで四谷に自分の城を持ち、数年で軌道に乗った。その仕事は例えばボタンエビの上に蟹みそと更にウニを乗せるというような、いわゆる足し算が多かったように思う。僕は2010年前後にほぼ毎月通っていたが、5年程ご無沙汰していた。久しぶりに伺うとその洗練された変貌ぶりに驚いた。三谷さん自らフランスへワインの買い付けに行くようになり、日本酒の蔵にも足を運び仕入れのルートが確立していた。お酒はほとんど飲めない三谷さんだか、 少し口に含んで魚と合わせるマリアージュを考える。それが的確でブレておらず三谷ワールドは完成の域に達していた。翌16年には紀尾井町に2店舗目の出店も決まり順風満帆だったが元々良くなかった心臓が悲鳴をあげ、大きな手術をしなければならない。しかしそんな同時に天使も微笑んだ。19歳年下の奥さんとの間に新しい命を授かったのだ。40代後半で初めて父になるという喜びも力となり、難しい手術は無事に成功した。三谷さんは術後のリハビリをしながら徐々に現場復帰して行った。今は一度は閉めようと思っていた四谷の店に絞ってカウンターに立ち極上の素材を最大に引き出し、珠玉のワインと日本酒で合わせる。ジャックセロスのシュブスタンスの乾杯に始まり、鰹には09年のモレサンドニ、ボタンエビと金目には04年のコシュドリのムルソー、穴子にカラスミを挟んで揚げた一品には山形の十四代、鮪には88年のジュブレ・シャンベルタンと言うように10数種類のマリアージュがめくるめく展開する。今も毎日リハビリルーティンをこなした後店に入る。その寿司を握る姿は、羽根を織り込みながら光沢鮮やかな織物を生み出す鶴の様だ。