嘉門タツオの「愛めし」

第17回「縁が繋がり花開く    日本橋蛎殻町すぎた」


   日本橋蛎殻町すぎたのご主人、杉田孝明さんの歩んで来られた道のりに運命を感じる。千葉県で生まれ育ち、中学2年の時に小林薫さんが寿司職人を演じる「イキのいい奴」と言うドラマを観て、寿司屋ってカッコいいなと漠然と思った。高校の時にたまたま友達の代わりに寿司屋でバイトをする事になり、やはり寿司屋になろうと決断する。求人広告が出ていたお店にいくつかあたりをつけて、1番最初に面接に行ったのが日本橋蛎殻町の都寿司だった。ご主人に会って話すうちにこの人に付いて行こうと決意し、他の面接には行かず、高校卒業と同時に修業が始まった。ご主人からは、寿司だけでなく人としての生き方の根本から教わった。早朝から働き、仕事終わりに近所の洋食屋テキサスに行くのが楽しみだった。深夜なのにステーキやハンバーグを頬張る客で賑わっていた。握りも任されテキサスの常連にもなって10年ほど経った頃、マダムから娘と付き合ってもらえないかと頼まれた。それが現在のすぎたの女将さんである。所帯を持ち更に数年経った頃、師匠から東日本橋で暖簾分けした弟子がやっていた店が空くからそこをやってみないかと誘われる。2004年春、東日本橋都寿司の後を継ぐ形で少し古い居抜き物件でのスタートだった。最初は閑散としていたが、試行錯誤や創意工夫を続ける中で〆さば、大葉とガリを巻き簾で巻いたものや牡蠣を味噌漬けにするなどの定番も生まれた。酢飯の温度も安定し日本酒のラインナップも充実し出した頃から徐々に軌道に乗り始めた。10年を迎える頃、建物もガタついて来たのでそろそろ改装しようと思っていた矢先に女将さんのお父さんが突然倒れてテキサスの存続が不可能となった。家族で相談し、ここを寿司屋に出来ないかという案が出た。しかし町内には修業先の都寿司本店がある。ありのままをご主人に伝えると、それはお父さんの後に入るのが筋です、遠慮なくやりなさいと言われて洋食屋が寿司屋になった。蛎殻町すぎたの暖簾を掲げて丸3年。和風の凛とした佇まいだが地下に降りる階段も手すりもビルの看板もテキサスの時のままだ。 

そんな物語を背負って、杉田さんは今日もにこやかにカウンターに立つ。