冬の稲妻を語る

近藤 アリスの名曲『冬の稲妻』は’78年の曲。リリースから40年以上が経ちますけど、毎年この季節になると、必ず聴きたくなる曲ですよね。昭和歌謡が好きで何冊も本を出しましたが、冬と言えばこの曲であることは間違いないでしょう。

嘉門 僕は’06年にカバー曲の『冬の人妻』をリリースしたほど、この曲が好きです。最初に聴いた時のインパクトは大きかったです。当時流行していたほかの曲にはない、攻撃的な感じがしましたね。

矢沢 それまでのアリスにも一応、コンサートをやればそこそこの動員がある、というくらいの人気はありました。でも、誰もが知っているヒット曲というのはなかった。あの曲がなければ今はない、という一曲です。

近藤 はじめてこの曲を耳にしたのは、’78年初頭のスナックだったと思います。私はその前年まで毎日新聞の大阪支社で、府警の捜査二課担当の記者でした。その頃は「夜討ち朝駆け」の生活で、音楽はほとんど聴いていなかった。ある日ふらっと入ったスナックで、久しぶりに聴いた音楽がこの『冬の稲妻』だったんです。文字通り、稲妻が走ったような衝撃を受けたのを覚えています。

嘉門 僕は当時、笑福亭鶴光師匠に弟子入りしたばかりで、まだ18~19歳くらいでした。僕と同世代の大阪の若者はみんな、あの曲の野性味に衝撃を受けて、「あのアリスが全国区になった」と大喜びしていましたね。

鶴光師匠に憧れるきっかけとなったのは、当時大阪で大人気だったラジオ『MBSヤングタウン』。谷村さんもレギュラーで出ていたので、当然アリスのことは知っていました。大阪では『冬の稲妻』以前から人気がありましたよ。僕はデビュー曲のシングル『走っておいで恋人よ』も買ったくらい、初期からのファンだったんです。

近藤 確かに、アリスは大阪での知名度はありましたよね。でも、みんなが知っている曲はなかったような気がします。

 この曲のヒット以前は、アリスは大阪で不遇の時代を過ごしていたそうですね。ツアーで全国の市民会館をあちこち回っていたけど、それでも会場をほとんど埋めることができなかったとか。

矢沢 『冬の稲妻』が出る前の2年間くらいはひたすら全国を回っていました。コンサートと営業で年間303公演もやりました。営業の場合は5~6曲ですが、それでも1日で3ヵ所回ったり、とにかくハードでした。コンサートは、数百人入るような会場に30人くらいしか客がいないなんてこともありました。

嘉門 大阪ではラジオのリスナーを中心にファンが多かった印象ですが、会場はそこまで埋まっていなかったのですね。

矢沢 ライブを重ねるうちに、徐々に人が集まるようになっていったのですが、ヒット曲がまだ作れていなかった。「これだけ客が入ってるんだからいいじゃん」と思う反面、「どうせなら売れる曲を出したい」という思いも強かったんです。

近藤『冬の稲妻』に関して言えば、まず谷村さんが詞を書いて、それを堀内さんが読み、「これは絶対に売れる」と確信を持ち、曲を作ったと聞いています。

矢沢 ベーやん(堀内孝雄)によれば、この曲は「お風呂場で歌詞を眺めがら心に浮かんだメロディーを、後からギターで作り込んだ」そうです。彼はもらった詞を読んで、曲を思い浮かべて作るタイプ。でも、最初はアコースティックだけで聴いたので、ヒットするような曲だとは思えなかったです。

近藤 では、どの段階で「売れる」という確信を持ったのでしょうか?

矢沢 正直、完成した後も、僕はヒットするとは思っていませんでした。というのも、「売れる」「売れない」の基準で曲を捉えること自体があまりよくわかっていなかったんです。でも、チンペイさんとべーやんは、「売れる」と確信していたし、後から考えると、売れるべくして売れたような気もします。偶然、当時一番音の良かったアルファ・スタジオでレコーディングができたんですが、当日は、二人とも声の調子がとても良かった。全てが上手くいって、いつもよりもかなり短い時間で、2~3回のテイクだけで録ることができたんです。

嘉門 爆発的なヒットとなり、それまで応援していた僕にとっては誇らしかったですよ。

矢沢 売れたのはアリスの良さが一番出たからだと思います。それまでは軟弱な曲ばかり作っていたのですが、アコースティックギターとベースとドラムだけで、それにツインボーカルでドーン! と攻めていったのが、今までと全く違う新鮮な感じに捉えられた。べーやんの感覚が冴えていたのでしょう。

近藤 当時の日本歌謡はかぐや姫の『神田川』、イルカの『なごり雪』に代表されるようにフォーク全盛の時代でした。アコースティックギターを抱えて、二人のボーカルが立つ。この絵はそれまでのフォークにも見られた光景ですが、『冬の稲妻』は、歌い出すと全く違っていた。最初にドラムから始まって、印象的なギターリフが来る。最初にガーッと盛り上がって、徐々に落ち着くという展開も珍しい。

嘉門 歌い出しの「あなたは~」という部分のインパクトが強いですよね。

矢沢 僕も歌い出しが気に入っています。ここは二人のハモりが印象的ですが、実は二人の音の取り方はいい加減なんです。一般的な理論に基づいたハモり方ではなく、それぞれが歌いやすいように勝手に作ってしまう。これが、耳に残るための武器になる。

近藤 なるほど。私がこの曲で一番衝撃を受けた部分で、かつ気に入っているのは何と言っても歌詞です。もっとも好きなフレーズは「You are rolling thunder」の部分。一度聴いたら耳から離れない。それまでのフォークにはまず出てこない、斬新な表現だと思います。今でこそ当たり前ですが、あの頃は邦楽の詞に英語が出てくること自体が新鮮でした。

嘉門 僕は「You are rolling thunder」の部分が、最初は何て歌っているのかわからなくて、後から「ああ、こう言っていたのか」と思った記憶があります。その後に「Ha!」という歌声が入るのはアリス特有でしょう。

矢沢 実はあの「Ha!」の部分は、ゾンビーズの『ふたりのシーズン』という曲を真似したものだったんじゃないかと思います。英語詞と日本語詞の間の部分に、何かが足りないと思って入れたんです。

近藤 ほかの部分の詞も、上品なエロティシズムがあった。詞のテーマである「恋の破局」は特段珍しくないですが、これを「冬の稲妻」と例えたことが斬新でした。「稲妻のように心を引き裂いた」「体を突き抜けた」って、普通、失恋で出てくる表現ではない。大人の男がマネしたくなるような、独特かつ斬新な言葉の選び方ですよね。こんな表現アリなのか、と思いましたね。

矢沢 はい。チンペイさんは23歳くらいのときから、そういう大人びた詞を書いていました。

近藤 「冬」というのは男と女の冬ということだと思います。でも、実はそもそも、稲妻というのは秋の言葉で、「冬の稲妻」なんて言葉は本来ありません。でも、この曲の存在で、寒い冬に心を引き裂かれる男の心情が、寒空の中に轟く雷鳴として、リアルな情景として目に浮かぶようになった。これはすごいことだと思います。

矢沢 おそらく、この詞はチンペイさんが自身の体験を書いたんじゃないかと思います。僕の知っている限り、当時の彼の恋愛エピソードは、確かに衝撃的だったので(笑)。だから、僕もフレーズに合わせて、雷のようにドラムを叩くよう心がけました。

嘉門 楽曲をよく聴くと、そのドラムのフレーズが素晴らしいのがよくわかる。僕は『冬の稲妻』がそれまでの音楽との一番の違いは、ドラムのインパクトだったんじゃないかと思っています。カッコ良さが際立っています。

アリスというグループは、谷村さんと堀内さんの二人のボーカルの存在が大きすぎて、失礼ながら最初の頃は、矢沢さんの存在をあまり意識することはありませんでした。でも、後になって改めて『冬の稲妻』のドラムやパーカッションを聴いていると、かなり高レベルなことをされている。数年前にアリスのコンサートを武道館で観たのですが、終わって帰る時の一番の印象は「キンちゃん(矢沢透)、すごい!」でした。

矢沢 ありがとうございます。「歌の邪魔は絶対にしない。でも、目立つ」。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込む、というメリハリを大事にしていましたね。よく聴くと雷が鳴っているようなこの曲のドラムの場合は、曲よりも、詞を聞かせることを意識して叩きました。

近藤 この曲は55・4万枚を売り上げる大ヒット。アリスは一躍全国区のスターとなりました。’78年の夏には武道館に立つまでになったわけですから、まさに人生が変わった一曲ですね。リリースしてすぐに、ヒットの実感は得たのですか?

矢沢 人生がガラッと変わったのはリリース翌年の’78年、『夜のヒットスタジオ』に出た翌日ですね。それまでアリスは生意気なことを言って、テレビ出演はすべて断っていたんです。そこに出演の打診が来たので、普通の人が1曲歌うところ、「自分たちは2曲歌わせてくれるなら出る」と言ったらそれが通った。『帰らざる日々』と『冬の稲妻』を歌いました。

近藤 2曲とも、今となってはアリスを代表する曲ですね。

矢沢 当日は午後3時にリハーサルをやって、本番は夜10時くらいから始まる生放送でした。暇でしょうがないので、一旦、当時入り浸っていた青山のお店に行って、麻雀をやっていました。それで、9時くらいになって、「ちょっと抜けてくるわ」と言ってスタジオに行きました。

その麻雀仲間がテレビをつけたら、いきなり僕が出てきたのでびっくりしたと言っていました。それまで毎日のように麻雀をやっていた仲間でさえ、僕がアリスだと知らなかったんです。僕らは、「名前は知っているけど、見たことはない」というバンドだった。でも、あの翌日から、さらに一気に売れて、街を歩いたら女子高校生がぞろぞろついてくるし、みんなテレビ見たと声をかけてきてくれるし、世間の見る目が変わりました。

近藤 まさに稲妻のように、一瞬で聞いている人を痺れさせたのですね。

嘉門 僕にとっては、この曲は青春そのものです。まあ、『冬の人妻』はあまり売れませんでしたけど(笑)。

矢沢 僕らにとってもこれなくしてアリスはない、かけがえのない曲です。