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「お坊さんから〝お墓参りに行く歌を作ってください〟と依頼されたんですけど、意外にスッと『終活3部作』ができたんですよね」

 そう話すのは、シンガーソングライター・嘉門タツオ。91年、シングル『替え唄メドレー』が86万枚の大ヒットとなり、翌年には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。その後も、《チャラリーン!鼻から牛乳》など数々のヒットフレーズを生み出してきた嘉門が今年、リリースした『墓参るDAY♪』『旅立ちの歌』『HEY!浄土』。彼はこの3曲を『終活3部作』と名付けた。

「リリース後は、『月刊住職』『月刊石材』『寺社ナウ』から取材を受けました(笑)。不謹慎なことをやってきた自負はあります。だから、やり過ぎずに顰蹙を買わない微妙なラインをつくのは得意なんです。確かにお墓参りに行く歌はあったほうがいいなと思っていたし。いろんな経験を積んできた今だからこそ違和感なく生まれたんだと思います」

『終活3部作』の誕生に大きく影響したという彼の経験とはいったい――。

05年、僕の父親が食道がんを患って、余命宣告を受けました。そのとき亡くなる18日前から弟が父親の姿をビデオで撮影し始めたんです。不思議なもので、病人ってカメラを向けると元気になってサービスしてくれるんですよ。〝この映像、残るんや〟とか思うんでしょうね。自分の高校のときはどうやったとか、饒舌に話してくれた。亡くなる数時間前の姿も映っていて、〝ええ人生やった。これからもまだ頑張る!〟とか言いながら死んでいったんです。20間くらい撮ったVTRを僕が20分に編集してお葬式で流したんです」

翌年、嘉門は幼稚園からの幼馴染である高倉さんからある相談を持ちかけられる。

「高倉も余命宣告を受けていて、〝暗いのは嫌だから、楽しい葬式にして〟と頼まれました。彼は僕の父親の葬式にも参列していたから、〝あんなんやってほしい?〟って聞くと、〝やって!〟と。それで高倉の生前の姿をビデオで撮影したんです。〝ちょっと早いですけど、先に逝ってるわ。向こうでうまい店でも探しとくから。みなさんも落ち着いたら、ゆっくり来てください〟絶対に盛り上がるからこう言えって、僕がすべて指示を出しました(笑)」

06年、高倉さんは旅立ってしまうが、葬式は泣き笑いに包まれたという。

「父親の葬式で試したとき、これはええなって。明らかに死ぬことがわかっている人の最晩年の映像ってなかなかないと思うし、参列者の心に深く残ると思うんです。あんまり衰弱していたら可哀相だけど、父親も高倉もそうではなかったから。この葬式の話を知った他の友人からも依頼が飛び込んできて……。僕は『おくりびと』ですね(笑)」

 嘉門は自分自身の葬式にもすでにプランがあるという。

「まず〝わしはもうダメじゃ~〟とか言っている僕のVTRを流しますね。それで、僕の亡骸が火葬場に運ばれるときの曲も決まっています。それは僕のアルバム『食のワンダーランド~食べることは生きること~』に収録された楽曲『火を通せば大丈夫』(笑)。笑いを取りたいよね」

送られる人も送る人もみんな笑顔――。これ以上、幸せな終活は他にないだろう。