どーも

僕は昔から冷めた子どもで斜に構えるタイプだったこともあり、
思い出のような形に残らないようなものは無意味だと思っていました。

ていうか今でも半分思ってます。

でも最近ふと思ったんです。
僕がコンプレックスに思っているのは、自分の人生がつまらなくて、退屈で、中身のないこと。
じゃあ自分が一番必要なのは無意味だと切り捨てていた、思い出なんじゃないかって。

僕は思い出が無意味だという理念にしたがって、これまでの人生で写真とかもほとんど撮ってこなかった。
思い出が無意味なら、それをデータとして残すことも無意味だと思っていたから。

だから中高時代の写真はほんとうにほとんどない。
ふとしたときに過去を振り返ろうとしても、その記録はない。
記憶の中にもおぼろげな記憶しかない。
正直悲しい。

確かに俺の中学時代、高校時代は存在したはずだし、今思えば楽しかった...
でもそれを確認する術がないから、これまでの人生がより一層中身がないように思えてくる。

思い出はなにより大事なものなのかもしれない。
今更、やっと気づいた。
俺が俺の人生に中身がないと思うのは、これまで思い出を蔑ろにしてきたからに他ならない。

これからは思い出を作りたい。
こんなにつまらない大学生活だけど、これはこれで思い出として残しときたいな。
将来、笑い話にでもできたら嬉しいな。

では