鹿島神宮に参拝しました。




大鳥居


東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いた同寸法の鳥居が平成26年6月1日に再建されました。








参道








手水舎







楼門


日本三大楼門の一つに数える楼門は、高さ約13m、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。 『鹿嶋社楼門再興進歩記 』により、三代将軍家光公の病気平治を頼房卿が大宮司則広域に依拠し、家光公が快方に向けた為に奉納されたとおり、浅草の水戸藩下屋屋で130昭和15年の大修理の際丹塗り、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。余人の大工が切り込み、船礁で運転で組み立てました。






本殿・石の間・幣殿・拝殿


本殿・石の間・幣殿・拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619)、徳川2代将軍の秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。

本殿は参道から見て一番奥にある三間社流造の建物で、御祭神の武甕槌大神をお祀りしています。

拝殿は手前に見える建物で、正式参拝や結婚式の際にお上がりいただくことができます。









拝殿









鹿島神宮の御祭神「武槌槌大神」は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と一緒に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国割り当ての干渉を成就し、日本の建国に挺身されました。


神武天皇はその御東征の半分について、思わぬ狭地に欠陥ありました、、武槌槌大神の「韴霊剣」の神威により救われました。鹿島神宮御創建の歴史は初代神武天皇の御代にさかのぼります。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に査祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要なお祭りが行われたり、いてて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるように、また奉納費が多くに派遣されました。さらに、20年に一度社殿を建て代替する製造業宮も行われました。近世になると、信頼朝、徳川家康など武将の尊敬をまとめ、武神として仰がれるようになります。


現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いられも重要文化財に指定されています。


鹿島神宮の例祭は毎年9月1日に行われますが、うち6年に一度は天皇陛下の御使いで派遣される罪祭となり、さらにそのうち2回に、12回に一度の午前には、水上の一大祭典である御船祭も斎行されます。




拝殿








社務所









奥参道


奥参道に向かって300m程伸びる奥参道は鬱蒼とした巨木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

5月1日には流鏑馬神事が執り行われます。







摂社 奥宮


現在の社殿は、慶長10年(1605)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納したものを、その14年後に新たな社殿を建てるにあたりこの位置に遷してきたものです。








拝殿







御手洗池









1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたった池です。昔は参拝する前にここで禊をしました。現在では、年始に200人もの人々が大寒禊を行います。










茶店










御朱印

鹿島神宮









鹿島神宮

奥宮



















God bless you