写真は月桃(げっとう)。
月桃(げっとう)の花は昭和20年四月のアメリカ軍沖縄上陸の時に、沖縄各地に咲いていたそうです。
上陸から敗戦まで、沖縄では激烈な戦闘が行われ、多くの人の命が奪われたのです。
いつのことだったか、摩文仁の丘に展示されている、旧日本軍戦車の錆びたキャタビラを見た驚きを、拙句に詠んだ記憶があります(初めての作句でした)。
【潮風に赤き戦車と月桃の花】
後に、この句には季語がない。句にはならない、と指摘をうけました。
でもね、愚老にとっては「季語」ごときより「錆びた戦車」と「月桃の花」が衝撃であったのです。
ゆえに、我が生涯最初の「駄句」として記念に残してあります。
前住地に住まいおりました頃、二十年以前になりますが、沖縄の人から花付きの月桃を頂きました。
奄美大島ではサネンバナと言う、との断りがついておりました。
大変嬉しかったのですが、草丈1㍍以上で、ひこばえも増え、貧乏住まいの書斎には場違いでありました。
冬の管理もいい加減で、いつの間にか枯れてしまったのです。
「月桃にすまない」思いが粗脳の片隅にいつもあり、半世紀近くが経っていたのです。
昨年の八月のこと、石垣島を旅行することがあり、売店に積まれた「月桃の種」を眼にした喜びはたとえようもありませんでした。
今年の初夏を待ち、径30㎝の素焼き鉢に種を蒔いたのですが、梅雨前に一斉に芽が吹き、緑の葉が伸び始めたのです。
「♪芽が出てふくらんで」
と歌っているだけでは一斉に出た芽は突然一斉に萎れることもあるでしょう。
さようなことのなきよう、月桃を小鉢に分け入れた次第であります。
写真の月桃は、これで20本ぐらい。
これをこのままではいけませんな。
秋の声を聞く頃には一本ずつ独立させるつもりです。
戦後70年、沖縄の人々の悲しみを現地の月桃は見続けてきたのでしょう。
強制的に土地を奪われ、問答無用で重機でならして基地を作り、戦闘機、戦車が配備され、沖縄の人々の悲しみと怒りはは消えることはありません。
いままた新たに珊瑚の海の辺野古沖を埋め立て「粛々と(菅官房長官談)」新基地が造成されようとしています。
愚老、せめて月桃を育てて、沖縄の人々の悲しみと怒りに思いを馳せているのです。
駄句5句と愚歌1首。
五月の風摩文仁に咲いたる月桃の花
月桃は摩文仁の夏の海沿ひに
五月待ち石垣島の月桃植う
梅雨開けて月桃苗の色深し
月桃は三線迎うる月の宴
月桃は奄美の島でサネンバナ三線の音に合はせ謡ひたり