写真は梅「紅冬至」。
古い時代に中国から招来された「梅」は日本の風土にしっかり根を下ろした花木です。
品種数も多く、春は名のみの寒さにうち震える頃から咲きだし、爛漫の桜に呼応して晩春まで、さまざまな種類の梅が咲きます。
紅色、薄桃色、白色。一重咲き、八重咲きなど、まことに多様ですね。
写真の「紅冬至」は冬至の頃に咲く、という園芸店の主の言葉にのせられて数年前に購入したものです。
自然状態のままで冬至の頃咲くことはなく、狭い書斎内に保護し、寒風にはさらさず、雪にもあてず、文字通り箱入り娘の扱いで開花致しました。
「紅冬至」とは言うものの、「紅」は淡いような気がします。
「紅冬至」と漢字表記して「ベニトウジ」とも「コウトウジ」とも呼ばれ一定していないようです。
口やかましい爺様連の口説(くぜつ)に関わりなく、「紅冬至」嬢は鮮やかな振り袖を纏い、えもいわれぬ香りを、我が陋屋に漂わせるのです。
香れ!紅冬至。
青丹よし奈良の都は咲く花の匂うふがごとく今盛りなり (小野老)
「えらいことになったなあ、今頃奈良の都には梅の香りがただよい、人は飲み歌い踊り騒いでいるやろに、愚老、この歳になって何の咎でこの九州の僻遠の地までこなあかんのや」
主人大伴旅人の配下で、やむなく花の都を捨てて、太宰府「配流」の運命に立ち至った小野老(おののおゆ)爺様のすすり泣きが伝わりますね。
爺様の年齢は不詳ながら、「老」という名ゆえ、爺様であろうと思うのです。
なんて推測は、失礼千万。
かりに玄界灘に海戦でも開かれれば、おっとり刀で馳せ参ずる壮齢の武将でああったやもしれず、根拠もなしに爺様呼ばわりは言語道断。
でもね、梅の花と昔の人の袖の香にむせび泣く万葉集の歌は、爺様の「繰り言」と取る方が相応しい。
なぜって?
根拠はございません。
香れ!紅冬至。
愚老、梅の鉢を慈しみながら、さまざま思いを巡らすのです。
なにしろ「思う」のは只ですからね。
雑俳4句(四苦八苦)腰折れ足折れ1首。
寒中に春告草の香りけり
梅の花冬至と名つけ陽を占める
豊後加賀梅花も國を負ひにけり
太宰府の梅花拾ひし子は三つ
冬の間は見過ごす藪は梅の気配目白鶯競ひ来鳴かむ