【 パリの運転手(3) 】

 ホテル・リッツから車に乗って事故死したダイアナ妃のことが思い浮かびます。あれはリッツの運転手が、ワインを飲んで泥酔していたにもかかわらず、パパラッチをふりきるために猛スピードで車を疾走させ、トンネルの壁に激突したのでした。
 午後6時をまわっています。この運転手、ワインを飲んでいるだろうな。でも酔ってはいないよね? ……ん? こんなところで死にたくはない!
 もしも生きて帰れたなら、「恐怖の慰謝料」を請求してやるからな。
 彼はますますスピードをあげました。
 いえ、慰謝料はもう請求しません。決して決して……。だから、お願い、無事に送りとどけてください。次第に不安がひろがり、泣きたくなります。
 空港の出発ゲートに車をすべりこませたときは、全身の力がぬける思いでした。
「遺言状を作り、人生でお世話になった方々への御礼の手紙を書かないうちは、金輪際、パリなんかに足を踏みいれませんからね。あなたがたとえまた行きたいといっても」
 帰りの機内でシートに身をあずけたとき、妻はまだ動悸がおさまらないといった感じで、そうつぶやきました。

 加茂隆康の「文化のホワイエ」 次回をお楽しみに。

【 パリの運転手(2) 】

 ヴァンドーム広場に面するホテル・リッツに泊まったときのことです。チェック・アウトの時刻に合わせて、予めタクシーを呼んでもらっておきました。スーツケースをベルボーイに運んでもらい、タクシーを探しましたが見当たりません。呼んでいないのです。5つ星のホテル・リッツでさえこのありさまです。ホテルの前には、なんとタクシー待ちの長い行列ができているではありませんか。4月の夕間暮れで、街灯が石畳を琥珀色に染めはじめています。
 30分ぐらい待たされて、ようやくタクシーをつかまえてもらいました。
 行く先はシャルル・ド・ゴール空港です。待たされたおかげで、搭乗手続の締切時刻が迫ってきます。私も妻も気が気ではありません。
 ところが、そのタクシーがまたのろい。時速40キロから50キロくらいで走っています。そのとき私は、出発便を変更できない格安航空券を持っていました。搭乗手続を締切られたら、日本に帰れなくなってしまいます。
高速道路に入っても、いっこうにスピードをあげる気配がありません。
運転手の風体は粗野で泥臭く、まず英語は通じないだろうとふみました。大学での第2外国語はドイツ語でしたので、私はフランス語を知りません。
 こんなこともあろうかと、私はバックから『ひとり歩きのフランス語自遊自在』という本をとりだし、「急いで下さい」という文例をさがします。あった。
「ジュ スュイ プレッセ!(私は急いでいます)」
威勢よく私は運転手に告げます。通じたのか運転手はふり向きます。
「プレッセ?(急いでる?)」
「ウイ(はい)」
 そのとたん、彼は一気にスピードをあげました。疾走しながら運転手はまたふりむきます。
「プレッセ?」
 私は蒼ざめました。頼むから前を見ていてくれ。うしろをふりむくな。そう叫びたい心境でした。メーターを見ますと180キロはでています。
 それを隣の妻に伝えますと、彼女は私の腕にしがみついてきました。
「そんなにださなくていいっていってよ」
「そんな難しいことフランス語でいえるか。それにいまなにか言ったら、こ
の運転手はまたふりむく。その瞬間にいっかんの終わりだ。こっちが『急い
でくれ』っていったので、彼、まじめにそうしようと努力している。このパ
リでだよ、客の注文を素直にきいてくれるなんて、ありがたいことじゃないか。この際、運を天に任すしかない」
 妻も私も、もう一度シートベルトを締め直しました。

 加茂隆康の「文化のホワイエ」はづづく。

【 パリの運転手(1) 】
 
 パリの人々ののろさといいかげんさは特筆にあたいします。
 オペラ座で幕間にホワイエにでるときも、美術館やスーパーのレジで精算してもらうときも、その遅いことといったらもう……。従業員同士で私語をかわし、客を平気で待たせる。客が列をなしていてもお構いなしです。
 「パリでは時間はゆったり流れるの。そこがいいのよ」
 フランス通のご婦人方はそうおっしゃるかもしれませんが、東京で、オフィスと法廷間を駆け足で往復する身にとっては、いらいらさせられます。
 ある街角で、3人のフランス人にメトロの入口はどこかと尋ねましたら、3者3様まったく違うことをいいました。
 舗道も汚いのは有名です。犬のフンがあちこちにあります。下を向いて歩かないと、靴の底にフンがつきます。
 「パリは花の都」ですって? 冗談をいっちゃいけません。無責任と猥雑が同居する都です。
 日本人がパリやフランスに憧れをいただいているのは、明治の文人たちが築きあげた幻想を女性誌などがさかんに書きたて、人々、特に若い女性がそれにのせられているからではないでしょうか。ぐずで不潔きわまりないあばずれ女を、上品で優雅なレディと思いちがいをして、のぼせ上がっているようなものです。

 加茂隆康の「文化のホワイエ」はづづく。