山号を持つ神社である。松琴山、この山頂に鎮座している。土地の人は讃岐の金刀比羅の元宮と言う。
破れ古びた襖の下張りから発見された由緒書きから。
 元禄二年(1689)、十六歳のときより、享保元年(1716)まで、讃州金刀比羅大権現へ月詣せりと、人呼んで「こんぴら七郎兵衛」と愛称せしほどなり・・・・と。


http://kamnavi.jp/en/awa/anakon.htm
大坂の魚市場が今の北浜付近にあった時、豊太閤が訪れて、商人の「やすい、やすい」と言う声を聞いて、矢巣居を連想し、矢が巣である靫(ゆき)に入っているのは、平和の証だと喜んで、その地域を靱(うつぼ)と名付けたと伝わっています。 
商人達が地の利を求めて、現在の西区靱本町に移住してきました。

 大阪でも特徴のある靭地域の紹介をいたします。

http://kamnavi.jp/utsubo/index.htm
板野郡の延喜式内小社の鹿江比賣神社が合祀されている。
かっては扇状地の頂点の大山畑字茅野原に祀られていたが、くずれ落ちて扇状地下端に遷された。


http://kamnavi.jp/en/awa/asiinaba.htm