本当に思慮深い人

 

前回、「仲間を信じる」という言葉があまり好きじゃない、ということを書きました。

 

それで他にも気になる言葉を考えていたら「本当に○○な人は」という言葉があることに気付いたのです。

注)必ずしも嫌いというわけではありません。

 

私が過去に聞いて覚えている「本当に○○な人は・・・」、「本当に○○なら・・・」の例は、

・本当に好きな仕事をしている人は仕事の愚痴など言わない

・本当に好きな仕事をしている人は仕事とプライベートの境界がない

・本当に頭の良い人はむやみに知識をひけらかさない

・本当にデキる人は自分からデキるアピールをしない

・本当に好きだったら何もわざわざなんて思わない

・本当に好きだったら飽きることはない

・本当にオシャレな人はスーツにはブラシをかけるだけで、クリーニングにはめったに出さない(スーツが傷むから)

・本当のアーティストは売れるか/売れないかは気にしない

・本当の自分はこんなんじゃない

などですね。

 

いずれも、なんとなくそうかもな、と思わせるものがあります。

 

でも、なんか気になるのです。

何が気になるかというと、それは本当か? って疑問に思うのです。

さらに言うと、「本当」とは何だ? って疑問に思うのです。

 

―― 本当に好きな仕事をしている人は仕事の愚痴など言わない

この命題が真だとするならば、仕事で愚痴を言ったことが無い人は「本当に好きな仕事」をしている可能性があるが、仕事の愚痴を言ったことがある人はいずれも「本当に好きな仕事」をしていない人だ、ということになる。「本当に好きな仕事」をしていて愚痴を言うことは許されない世界線です。恐ろしい世界ですね。

 

好きな仕事をしています、と自分では思っていても、仕事の愚痴を言ったことがあるなら、「本当に好きな仕事」ではない、ということになってしまう。

あなたは自分では好きな仕事をしていると思っているかもしれませんけど、愚痴を言うならそれはあなたが本当に好きな仕事ではないのですよ、ということなんでしょうかね。

なんで、他人にそんなことを指摘されないといけないんですかね。

余計なお世話だよ!

 

というか、お前の言う「本当」ってなんだよ。

なんか、「本当に好き」という言葉を使うことで、「好き」を変に神格化してませんかね。好き/嫌いに程度はあったとしても、「本当」とか「嘘」とかあるんでしょうか。

 

 

―― 本当のアーティストは売れるか/売れないかは気にしない

売れるか売れないかを気にして創作するのはビジネスパーソンでありアーティストではない、ということを言いたいらしいです。

 

なんとなく言いたいことは分かるし、その通りなのかもしれないとも思うけど、やっぱり何か引っかかる。売れているアーティストを揶揄したかったり、嫉妬心をごまかしたかったりして、「本当のアーティスト」などというあいまいな概念を作り出しているような気がします。そして、我(彼、彼女)こそは商業主義に流されない「本当のアーティスト」であるという自尊心により、売れていない自分(彼、彼女)を正当化しているようにも感じます。アーティストでなくても、ビジネスマンでも研究者でも、成功していない自分を正当化するために都合よく「本当の○○」という概念を都合よく利用しようとしているように感じるのです。

 

 

「本当に○○な人は・・・」、「本当に○○なら・・・」という言葉は、気に入らない相手を本物じゃないとさげすんだり、自分や自分が気に入っている人こそが本物である、というように都合よく解釈するために使用されているような気がするのです。

 

 

で、結局のところ何が言いたいかというと、本当に思慮深い人は「本当に○○な人は」とか「本当に○○なら」という言葉を使わないんじゃないのかな、ということです。。。

 

神山ユキ

2022.10.1