子宮頸がんは突然やってきた -3ページ目

手術当日

12時半、看護婦さんがお迎えにくる。

覚悟は決めてるはずなのに、緊張しまくる。

家族とはエレベーターの前でお別れ。

沢山の手術室があったことは覚えているが、自分がこれから手術を受けることにパニクってた為、よく見れなかった。

自分が入る手術室の前で看護婦さんと最終チェック。


そして、手術室へ…


意外と柔らかいベットに横たわり、次々と色んな物がつけられていく。

そして麻酔医さんからこのマスクを近づけたら眠くなるので、そしたらおしえてくださいって。

もちろんそんな余裕なく、マスクを近付けられた瞬間落ちた…


りおさーん、りおさーん、わかりますかー?終わりましたよー。
とにかく全身が重たい。目も重たい。

終わったんだ…

体が動かない。

ベッドのままHCUに移動したらしく、旦那とお義父さん、お義母さんが声をかけてくれた。

うっすらとしか覚えていないが、少し安堵した。


そこから朝まではとにかく長くて地獄だった。

痛みと息苦しさが交互に襲う。
痛み止めが入った薬を自分で押して使うやつを手渡されたが、なんせ力が入らない。
押せたのか押せてないのか…

一時間おきに血圧計がうでをしめる。
血栓防止で足につけたやつはずっと動いている。

同じ姿勢はしんどいので、寝返りをうちたいときはナースコールで看護婦さんを呼ぶ。

何度も呼んだのにイヤな顔一つせず寝返りをしてくれた看護婦さん。
仕事とはいえ、すごい。頭が上がらない。
感謝しかない。

何時間も何時間もたったと思ったとき、電気が消えた

まさかの消灯。まだ全然時間が経っていなかったらしくびっくり。

そこから朝までの時間、本当に長かった…


一度きてくれた男の看護士さん?みたいな人は冷たかったなぁ笑
雑に寝返りをされて、痛くて悲しくなった。


こんなことを繰り返し、長い手術から朝を迎えた。

手術までの二日間


入院したのは土曜日。
私の手術日は火曜日。

早めの入院だった為、入院した日はとくにやることなし。

日曜日もとくにやることなく、友達がきておしゃべりして気を紛らしてくれた。

月曜日の午後から医師による術前最後の確認をして、夜ご飯食べた後下剤をのむ。



そこまでまずくなかったが、お腹が苦しい。

しばらくして看護婦さんが浣腸の時間ですと呼びにきた。

人生初浣腸💦
思ったほど痛くはないが、我慢するのは結構厳しくトイレへ…

何回か波がくると思ったが、平気だった。

そして、手術当日。

その日も浣腸から始まりまたトイレへ…

手術はお昼からなので後はお迎えを待つのみ…

早めに着替え、家族がきてしばし待つ…

しばらく携帯を触れないと思い!仲がいい人に連絡。


次この携帯を見る時は手術が終わってるんだ…


41年間私の中にいてくれた子宮さん。


子供を宿すわけでもないのに、苦しめてしまってごめんね。


子供は欲しくないと言えばウソになる。

妊婦さんをみて、私もあんな風に大事にお腹をさすって、新しい命の誕生を待つ日がくるんだろうなーと思ったりもした。

夢に終わった。

そして、私と一緒になった旦那さん。

パパになれなくて、お父さんにしてあげられなくてごめんね。

入院までの1ヶ月

子宮全摘を決めてから入院までの1ヶ月、お休みする間の仕事の引き継ぎや、職場の皆への報告とあっという間に過ぎた。

ほんとに手術するのかって言うぐらい体は元気だし、いつも通りの生活だった。


手術前に髪をバッサリ切って、身仕度もした。

入院前日、荷物をカバンにつめこむ。

この時もまだ明日の入院の為に準備してるんじゃなくてどこか旅行にでもいくんじゃないかっていう感覚だった。


ただ夜中になり、旦那が寝てるとこを見て、すごく静かになった部屋を見て、急に不安と悲しみが襲ってきた。


明日からは闘いが始まるんだと。


私の中から子宮がなくなってしまうんだと。



胸が苦しくてそこから朝まで寝付けなかった。



そして入院の朝。
あの日はとても寒い日だった。

旦那さんの車に乗って病院へいき、入院手続きをした。

まだ部屋が準備できていなくて、待合室みたいなところで待機。

そこへ先生登場。でも初めましての先生。

手術の説明をざっとしてくれた。


すごく早口だったけど、優しかった。


この先生が手術してくれる先生というのは手術前日に聞かされた。


やっと部屋が空き4人部屋へ通された。


満室で皆カーテンが閉まっているが、前の人はなんだか一人でずっと「痛い痛い」と言っているのが聞こえて、恐怖心が増した。


看護婦さんがきて、色々オリエンテーションをうけ、一段落…


こうして無事に入院することはできた。


長くなったのでまた…