長崎県佐世保市で、15歳の高校一年生を同級生が首を切るなどして殺害した事件。実は、この残虐な事件ほど、「戦後レジーム的なるもの」はありません。
まず加害者の同級生の父親は弁護士で、母親は教育委員。どちらも「GHQ」が戦後強くした職業です。母親の父は、地元新聞社の経営者だそうです。そのマスコミでは、被害者の実名を報道することはあっても、加害者の実名を報道することはありません。
 まるで「被害者はさらし者にするが、加害者の責任は問わない」というような偏った報道姿勢には、アメリカの司法の考え方の影響が見られます。それはキリスト教の「ケア」の思想と、「国親思想」という思想です。
 どういうことか言えば、欧米社会では、「争い事は当たり前」ですから、事件が起きた後、「神の下の平等」の名に置いて、「ケア」を施します。とりわけ加害者にも「社会的弱者」になった事情があると見て、手厚い保護を加えるというのがキリスト教の基本的な考え方です。精神鑑定や心理療法などの方法も基本的には、「ユダヤ=キリスト教」の考え方に基づいています。一方、日本本来の思想では、「争い事は当たり前」とは考えません。「戦うときには戦うが、出来るだけ事前に争い事を避ける」という様々な方法も考えます。
 この思想は、戦前の「旧少年法」に現れていました。旧少年法では、16歳まで犯罪を犯した少年に対して刑事罰を加えていました。その上で、「保護処分」を行って、将来ある少年・少女たちを守ろうとしていました。ところが戦後GHQの占領によって「新少年法」に変わります。その内容は、14歳以下の少年には、いかなる刑事罰も加えず、16歳以上の少年に対してのみ、刑事罰を与えた上で、「保護観察処分」をするようになったのです。戦前の日本の刑法などの文献を見ると、犯罪を起こした少年に対しては、「観察」をするのではなく、「保護」をするのだ、という日本人の明確な意志が感じられます。
 ところが、戦後の日本では、少年犯罪者を「観察」するようになってしまったため、平成7年に起きた「神戸少年連続殺傷事件」のように、重大犯罪を起こしても18歳の少年までは「保護観察付き」になり、成人後には「釈放」になってしまいました。これは戦後GHQが取り入れた制度によるものです。
長のルイス博士が、日本の旧少年法を変えさえ、「14歳以下」の保護観察を徹底させるのです。その思想の背景には、移民の多かったアメリカで、プロテスタントたちが自らの共同体を守るために敷いた「国親思想」がありました。「国親思想」とは、国が少年・少女のために責任を持つべきだという思想でした。GHQは自らが移民だったプロテスタントの思想をそのまま日本に持ち込みます。
その思想は、ハッキリ言えば「偽善」でした。まず、少年犯罪を事前には止められない。また、基本的にキリスト教徒がほとんどだったGHQがシステムを作ったマスコミも日本の司法の言うままに「加害者保護」に動くようになりました。だからこそ、戦後の日本のマスコミは、加害者の実名を報道せず、外国人犯罪には例えば韓国・朝鮮人の実名報道などには消極的になったのです。「命の大切さ」を訴えるよりも、お互いが非行に走らないよう守り合っていたのです。戦後の少年法は、神戸少年連続殺傷事件でその間違いに気づき、平成10年に改正され、刑事罰を問える年齢は戦前の「16歳」に戻りました。しかし、戦前の少年少女への保護システムは、親や学校、地域が厳しさの中でお互いが一体的に支えるしくみで、明らかに戦前の方が良かったと思われるのです。
 この事件は何としても事前に食い止めなければならない事件でした。戦後の度重なる少年・少女の殺人事件のような惨劇を繰り返させないためにも、GHQの行った司法システムへの介入と彼らの「洗脳」による「戦前は悪」という思想を変えなければいけない時がいよいよ来たようです。