JR長岡駅から自動車で20分掛かる「越後与板」は、以前は大工道具の街っていうイメージしかなかったので、建築関係・金物関係者位しか知られてなかったのですが、ところが「与板」が脚光を浴びたのは10年前の「天地人・直江兼続」だ。以前は、地元の人も「誰その人・・・」っといった感じで、ほぼ無名の武将であった。

大河ドラマ放送年前後の5・6年は与板城主直江山城守ゆかりの地を訪ねようと、全国から人人人で溢れかえっていた。

 

その後天地人旋風も冷めて来て、今度は、与板が生誕地とされる「日本ビールの父・中川清兵衛」ということで、兼続とお船ミュージアム近くに、2年前より「サッポロビール・与板★中川清兵衛記念BBQビール園」なるものがオープンし、春~秋季限定店舗ながらも、毎年営業しているようだ。

http://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/yoita-beer.html

 

直江兼続がクローズアップされる前の与板といえば、彦根藩飛び地藩領「与板藩・井伊家」の城下町として知られ、昨年の大河「おんな城主・直虎」放送記念に、与板に所蔵してある(本家より頂いた)藩祖井伊直政公ゆかりの品を展示したりと、「井桁」「橘」の紋所がまぶしい年でした!!。

 

つい最近、最後の与板藩主の実父上が、大河ドラマ「西郷どん」内で、大雪の中で殺されてしまいましたが、動乱の幕末時の与板は本家との関係もあって、周辺の藩からも良いように思われてなかったようです。そのため与板周辺はかなりドンパチが頻繁で、以前は曾祖母の実家の裏山なんか、戊辰戦争当時の鉄砲玉や、土饅頭(墓)掘り起こせば、具足や武器などがガサガサで、土砂崩れがあればむき出し状態だったそうです。

幕末期は長岡と与板は対立関係であり、140年後の平成合併の時も、歴史的背景から長岡市編入には与板町内でもかなり難色を示したようです。平成合併長岡市全体を見たら「戊辰戦争150年」といっただけでも、街を二分してしまう事態になりかねないわけです。

 

長岡市は「負」の歴史を偲ぶより、目出度い歴史の方を選んだようで、本年は「長岡開府400年記念」とし、市内あちこちで記念イベントが行われています。長岡藩藩祖牧野家ってのは、東海地方の方はご存じと思いますが、徳川家康の一家臣で、三河牛久保より越後に赴任し、長岡の地で幕末まで、政務を行っていました。

長岡藩設立当初、実は分家に「与板藩」という領地もあり、その与板藩ですが、最初は「牧野家」、その後元禄以降に「井伊家」が政務を行い、江戸初期は長岡と与板は仲の良い関係でした。

 

全国あちこちで「明治維新150年」「戊辰戦争150年」と賑わってますが、長岡市編入合併した旧与板町も「長岡開府400年」といえば丸く収まるようなので、現在、2つの歴史イベントを行ってます。

 

◎「与板藩のはじまり 牧野家をたどる」(6月1日~7月29日)

 

◎「与板を知ろう 長岡を知ろう 講演会」講演会(6月17日 14:00~15:30

 

つのチラシをアップします。歴史講演会の方の講師ですが、越後与板藩(新潟県長岡市与板町)から信州小諸藩(長野県小諸市)に転封した牧野家の御子孫?の講演です。聴講したい方は「よいたコミュニティーセンター」に電話にて申し込みください。去る6月4日、長岡市外在住の私でも受け付けてくれました!!。