「兼続公まつり」と名を改める前は「六日町まつり」と呼ばれ、合併前の南魚沼郡六日町時代から行われていた行事で、重要な儀式「長尾政景公墓前祭」というのを、まつり行事の一行事として古くからおこなわれていました。



墓所に向かう参道には、「その2」の時代行列等に出陣した「上田五十騎衆」と「米沢藩鉄砲隊」が墓前に向かい、整列します。


政景公墓所の左手(「その4」末文の「手打ちそば・兼続庵の真裏」)の、元上杉家菩提寺で、現在は米沢市にあるお寺跡地の「龍言寺跡地」には、大河ドラマ天地人放送を機に、個人が建立した、長尾家六代と直江兼続公の各供養塔があります。写真手前から「四代長尾房長公」「「二代長尾房景公」「初代長尾景実公」「三代長尾顕吉公」「六代上杉景勝公」「直江兼続公」の各供養塔です。


法要が行われる前に、墓前に剣舞や居合抜き等を奉納します。



五代長尾政景公の墓で、上杉家菩提寺である曹洞宗の名刹「雲洞庵」住職より祭司を務めていただきます。



今まで知らなかったのですが、塚の上にあるこの「長尾越前守政景神霊」の墓碑は、「その2」「その3」に登場した「岡村貢(おかむら・みつぐ)」らの有志が、明治16年に建立したんだそうです!。だから明治紳士の洋装で、戦国の「時代行列」に加わっていたんですねぇ(笑)!!。


又、祭司を務めた僧侶のお住まいの「雲洞庵」ってのは、幼少時の上杉景勝(長尾喜平次)公・直江兼続(樋口与六)公が修業をした名刹で、


大河「天地人」では、与六役の加藤清史郎君が

わしはこんなと来とうはなかった!!

の名台詞を言ったあのお寺になります。



話を戻します。読経と同時に「南魚沼市長(赤シャツ)」「米沢市長(法被)」「鉄砲隊代表」・・・と、次々と参列者が墓前に進んで焼香します。写真(↓)は平成21年の模様ですが、今年は第17代御当主の上杉邦憲伯爵御夫妻も参列しました。



読経が終わり、参列者の焼香も終え、着席しました。


すると、墓裏のスギ林で・・・

ダーーーーーーーーーン!!!・・・・。ダーーーーーーン!!!・・・・。

と、鉄砲隊による、政景公や上田長尾家の御霊を慰める、供養のための発砲何回も行われました。


供養塔や、裏で着席した上田五十騎衆の周辺はもうもうと煙に包まれてます。



煙がまだおさまらない中、お鈴(りん)を鳴らしながら、祭司を務めた「雲洞庵」一門の僧侶一同は退席します。


その後に、上杉邦憲伯爵御夫妻も退席されました。


供養祭は終わったので、「上田五十騎衆」「米沢藩鉄砲隊」のみなさんも、墓裏のスギ林から出てきました。



長期に渡り、「南魚沼市・兼続公まつり」のレポートでしたが、来年行かれる方の参考にしていただければ幸いです(終)。