わたしは子供とお風呂に入ることが父親として母親には譲れない唯一の楽しみであり、子供達との触れ合う場所でした。5年間ほとんどお風呂は私が入れていました。
でも、裁判になりすべてを嘘で母親に壊されてしまいました。
憎しみたくはないけど、憎しみしかないのはなぜだろう。
悔しくて悔しくて、憎み切れない。
わたしの娘はもうすぐ無理矢理であろうが、
私と、息子から引き離されます。
母親から、人身保護請求をされてしまいました。
理由は、私に親権がないからです。
なんでこんな2年を過ごしたのか?それは私も子供たちもわかりません。
ただ、2年前に離婚をして、わずか2週間で母親からわたしは娘を預かりました。保険証も何も渡されずに、最初は3日か1週間くらいなら、何とかしますと言う話で預かりました。
でも、その後は母親からまったく連絡がなく、1ヶ月が過ぎました。私達夫婦は、よく喧嘩をする夫婦でした。
わたしも、元妻も頑固だったからでしょう。
でも、離婚をしては、また籍を入れるという妻との結婚を2度も繰り返していて、この離婚もまたすぐに戻ると思っていました。
理由は、離婚しても、妻は自分の携帯や保険の支払いすら変えないこと、名義変更もしていないこと、そして妻の私物や、服を何一つ取りに来ない。持ち出すこともなかったからです。娘を預けたのも、そういった経緯もあり、きっと母親は安易な気持ちで娘を預けたのだと思います。
娘を預かってからは仕事どころではなく、バタバタと毎日は過ぎて行きました。1週間しても、2週間しても、母親が娘を迎えにくることはありませんでした。
息子は、年少から年中に進級して、今のままでは行けないと、家族を1日でも早く元に戻さないといけないと考え、母親を誘い、家族で箱根に旅行に行く計画をして、旅行に行きました。2年前のことです。
娘はまだベビーカーに乗っていてそんなに歩き回る年齢ではありません。当時1歳11ヶ月です。息子はママと一緒で嬉しくて、すごく楽しそうにはしゃいでいました。
そんな姿を見て、やはり子供たちの為に家族を修復しなければと思いました。おれたち夫婦は、離婚の現実を知っていたのです。離婚をしても、届けを出しても、また婚姻届を出せば、家族に戻れてしまうということを。
それが互いに離婚する重大性を軽視していたのだと思います。そんな中で、子供たちが寝た後に母親から報告されたことは、
「わたし凄くない?仮免許、10日で取れたんだよ!」
という言葉でした。
突然の妻からの報告を聞いて、最初はその意味を理解するまでにおれは激しく意味がわからない状態になっていたけど、教習所?に行ってるのか?と、理解した瞬間に内心、怒りが込み上げてきました。
でも、2人の子供は遊び疲れてよく寝ています。だから、ここで母親を責めて喧嘩は出来ないと、平静を保ちました。
おれは、教習所行くお金は?と聞いたら、
親が出してくれた。と言われました。
呆れてしまったのです。たしかにおれは娘の父親です。だから、父親に預けて教習所に行ったことを普通なら間違いだとは言えない。でも離婚しているのです。また、預かるときに母親は、
「1人になりたい。無意味に娘に八つ当たりをしてしまう自分がいる。」と言いました。
だから、そんな状態では娘に良い状態ではないから、おれは一時的に預かりました。そのときは妻の状態も心配して、おれは娘を預かったのです。
旅行を話した際に妻は言いました。
「お金がないから、知り合いのとこでバイトしている。」
その前は、「実家には住めないからアパートを借ります。だから、養育費上げてくださいと。」
バイトに関しては、頑張れよと伝えました。
養育費に関しては、いくらですか?と返事をしたら、
「そこには食いつくんだね。」と言われてしまいました。
間違えた反応をしたつもりはないが、何で嫌味を言われたか?今もわかりません。
旅行前に話し合いで会った際は、実家に住めないなら、もうこんなことやめて帰って来なよと言ったけど、母親は、
「アパートを借りたし、お金も払いましたからと言いました。今更やめたら違約金がかかる」と言われて、それはおれが払うからと言ったが、話はあやふやにされ終わりました。
そんな色々なことがありながら、旅行して知らされた事実は隠された状態で教習所に通っていた事実でした。
たった1ヶ月だったとしても、子供たちは戸惑いや寂しさを持ち、それでも2人は笑って生活して兄妹は成長していました。なのに、母親は何をしているのだと…悔しさと呆れてしまうしかおれにはありませんでした。
その話をされてからは、母親と話すことを避け、次の日に母親を駅に送り帰りました。子供たちは、泣くだろうと予想していたけど、息子はまたね!と言いました。娘はバイバイと母親に手を振りました。
車の外で母親は唖然として泣きそうな顔をしていたことを今も覚えています。
その後、母親からは、
「何もしないで毎日をダラダラ過ごしていたけど、今のままではいけないと、必死に考え出した答えが教習所でした」とメールがきました。
「育児放棄と言われても仕方ない。弱くてひとりぼっちは私だったね。」と母親からは言われました。
おれには、母親の娘を守り、育てる覚悟は感じませんでした。だから、裁判にして娘の親権をしっかりして、娘のために兄妹のために父親としてすべてを捧げて生きる覚悟をしました。
簡単に娘を預け、何ら報告や相談すらせずに、教習所に通いだした。仮免許を10日で取れたという話を逆算しても、3月10日に預かり、4月12日に教習所を聞いているのだから、少なからず3月の末には教習所に通い始めている。預けてわずかで通い始めているなら?なぜ娘を迎えに来なかったのだろ?またバイトをしていると言っていたが、本当にしていたのだろうか?アパートを借りると言うのもどうなっているんだ?というそんな疑問しかなくて、それでも争いを選ぶ前に母親に最後に確認をしました。
娘はどうするのかですか?と、
返事は、「免許が取れたら迎えに行きます。2人とも。」
という返事を受けて、おれは意味がわかりませんでした。母親はけっきょく娘より教習所を優先し、そのあとは私に親権がある息子まで連れて行くという身勝手すぎる考えを理解して、裁判で争う選択をしました。
それからは、娘の親権がないまま調停、審判と進み、一年が過ぎていました。家庭調査官の調査が終わるまで、おれは弁護士をつけずに素人として戦ってしまいました。
母親は代理人を審判と同時につけており、審判になってからは母親の嘘と事実を捻じ曲げたすべてによって、楽しかった家族の思い出はすべて壊されていきました。
わたしは、でっち上げDV夫にされました。子供たちにその暴力の矛先が向かう危険があると言われました。普段は子供などそっちのけで、気が向けば育児を手伝い、気が向けば子供と遊ぶ程度の父親だとありもない嘘の主張をされ続けました。子供を養育する父親としては適性がなく、今のままでは子供たちが危険であると保全処分を申し立てられました。でも、そんな事実はありません。母親はメールでこう伝えてきていました。「お父さんといたほうが幸せかもしれません。」また、「そちらの環境を信頼していて甘えていました。」と、メールで言いながら、審判になり弁護士がついたら、散々な嘘を主張していました。
次には、度重なる暴言、暴力により怖くてしかたがなかった、そして離婚した不安から体調を崩した。と言われました。母親はおれが暴言、暴力を振るい怖かったのです。
なのに、離婚してから、審判になるまでの8ヶ月間、支払いや名義を変えることをしていません。怖い旦那と関わりたくないなら変えるはずなのに変えていないから、関わってしまうのです。また、教習所を聞いた後日に、母親はおれにメールでこう伝えてきていました、
「自分に起きた嬉しかったこと、楽しかったことを、ただあなたに聞いて欲しかった。私は頑張ったよと聞いて欲しかった。」
これが妻からきたメールです。
審判での母親の主張は何なのだろうとしか言いようがなく、信頼はすべて崩れていきました。
でも、日本の家庭裁判所は、母性優先であり、どんな嘘を母親がついて、それは違うと私が証拠をどれだけ膨大な量を提出しても、母親の嘘を認めてしまいました。
つまり、おれは何もしていないのに、母親が突然作り上げた最低、最悪な父親として、審判の決定が出されてしまったのです。でも、家庭裁判所は小さなミスをしてしまいました。それは、母親の嘘をすべて認定しながら、息子の親権変更を棄却しているのです。また、子供たちは調査時の様子では父親を何よりも慕っている様子が伺えたと決定分に書いてしまいました。
つまり、裁判所は適当な判断をしたんだよな。
協議離婚で、親権を分けているし、虐待があるような命に関わる事件ではないから、現状維持で終わらせちゃえみたいな感じだよ。母性優先を前面に出した結果でありながら、父親としてのおれを間違えていると否定しきれなかったんだよ。だから、こんなふざけた答えを出してしまったのです。それが娘を苦しめたのです。
そんな家裁の判断や、母親の嘘をすべて反論し証拠を出し抗告をしたけど、高等裁判所は即時抗告をいとも簡単に棄却しました。
昨年8月7日のことです。
おれは、裁判所の決定に従うしかないと、母親に話し合いをしたいと伝えて、母親と話をして、娘を引き渡しました。その話し合いに母親は飲酒した状態で現れたけどね。
息子はママの所に行かないと、ハッキリ意思を母親に伝えていました。娘は何もわかっていなかったようで、大好きな叔父さんたちの家にお泊まりする感覚で、お泊まりしてくると笑って行くと言っていました。
だから、このまま行かせようと覚悟をして母親に引き渡しました。泣いていないまま行かせてあげたいと思ったからです。もし泣いてもこれ以降は、母親がしっかり娘をなだめてくれると信じていたからです。
私と、息子は2人で帰路につき、息子には本当にこれでいいの?と聞きました。息子は、「お父さんといたい。お父さんがいい」と言ってくれた、その言葉で我慢していた涙が溢れ出てきました。
家に着き、娘がいなくなった寝室で息子と2人で寝ようとしていたら、母親からメールが入りました。日が変わった0時28分です。
「息子は大丈夫だった?ちゃんと寝た。娘は、おうちに帰りたい、お父さんと寝たい、お父さんがお仕事ならば、ばあばと寝たい。とずっと泣いているよ私がしてることは間違ってるのかな。私のせいで、平和に過ごしてた○○家を壊してしまったのかな。邪魔者は私みたいね。」
このメールが届き読んでいると、息子は、「だれ?」と聞いてきたので、ママだよと言うと、どうしたの?と言われたので、娘が泣いているみたいだよと息子に言うと、息子は、突然何も言わずに、ベッドから飛び降り、走って1階まで降りて行き、玄関から、お父さん行くよ!と大きな声で呼んできました。私も、その息子の行動に驚いていたのでしょう、何も考えずに気づいた時には車に乗り、娘がいる埼玉の母親の下に向かっていました。息子は、車の中で、「やっぱりね」と言いました。「ほんと、わがままで、グズだよね。」と息子は言っていましたが、そんな息子の姿を見て、私自身は兄妹の強い絆を改めて感じ取った瞬間でありました。母親にメールで、そちらに向かいますとメールをしました。そうするとすぐに母親から電話がありました。泣き止まないから、娘をなだめてほしいという電話でした。電話を出た時から、娘が泣き喚いているのは電話越しに聞こえており状況はすぐに理解出来ました。娘と電話で話し、にいにとお父さんで迎えに行くから、泣かないで良い子にして、大好きな梅干でも食べて待っていなさいと話をしました。娘は、「はい」とは言いますが、「早く迎えに来て」などとやはり泣きわめいており、そうした際に母親が電話に出て、一旦切るからと言って、電話を切られました。3分くらいしてすぐにまた母親から電話がかかってきて、そこから埼玉に着くまでの時間は、「やっぱ返さない。」「返します」などと不安定な精神状態での会話が延々と繰り返されました。
それ以外では、私は離婚をする気は無かったや、あなたが悪いなどと、娘が電話の後ろで泣いているにもかかわらず、怒りから私をなじり続けていました。私は、平成25年2月の離婚時と何ら変わらない母親の姿をわかり、こんな現実を誰一人わからずに家裁はただ簡単に娘を引き渡し、”少しすれば慣れるだろう”という決定を出したことを悔しく感じました。また母親は審判時には、父親との信頼関係は崩壊している、子供達の養育をすることに父親は適していないなどと散々たる嘘をついていながらも、結局、監護補助者に頼らずに私に頼ってしまったのは、審判時の主張がすべて虚偽の主張であった最大の証拠であるのです。電話で私を母親がなじり続ける間、娘は電話の後ろでずっと泣き続けていました。私はその娘の泣き喚く声を聞こえながらも、母親以外の誰かはいないのかと電話越しに心配をしながら聞いていましたが、監護補助者がいたという感じはなく、また誰かが娘をあやしているという感じもありませんでした。埼玉にもうすぐ着くころに、娘の泣き声は止まりました。私はすぐに疲れて寝たのだとわかりました。あやすこともなく、疲れて寝るまで泣かし続けることしか出来ないのだと、娘を心配になったことは間違いありません。そして、もしここで心を鬼にして娘を迎えに行かなければ、朝になり目覚めた娘はまた泣き叫び、精神的に子どもながらに壊れてしまうのだと心配をしましたし、離婚当時と同じように母親が娘に八つ当たりをするような事になるのではと不安もありました。母親は電話でこう言ってきました。「いきなし今日の今日で、おむつやパジャマすらないから!」と、しかし母親は「なんならこのまま連れて帰っても、私はかまわない」と言ったのはあなたですと私は言い返しています。その場その場の思い付で行動することも何ら離婚当時と変わっていないのだと思いました。そして、平成25年3月10日に娘を預けた時も、「娘は泣いたでしょう?」と母親には言われましたが、わたしは、泣いていないよ。娘が家に着き、最初に言った言葉は、「おうち~、○○ちゃんのおうち~」であり、娘は泣き喚いたりしていないよ。それは、審判時に陳述書にも書いていますと。母親に伝えました。母親は自分だけじゃないと言いたかったのかもしれません。娘が泣き喚くのは私のせいではないと言いたかったのでしょう。しかし現実は違うのです。そして、母親でありながら、泣き喚く娘に何も出来ず、何もしないで疲れて寝るまで5時間以上も娘を泣かせていることは、おれは愚かだとしか言えません
娘を連れて帰ってからは、娘は激しく母親を怯えるようになりました。そして家から出ない、お父さんかお兄ちゃんが居なければ絶対に外に出ない不安定な状態になりました。
母親は先日の失敗を必死に何とかしようとおれにメールをしていました。「娘が一度泣き止んだ瞬間に見ていた赤ちゃんの人形の動画のおもちゃはなに?」のようなことを聞いていました。おれは、それはメルちゃん。だけど娘にとってはポポちゃんです。服は着させても絶対脱がします。そして服は日に日に無くなっていきますと伝えました。娘の現状をまずメールで伝えて、今すぐにどうこう出来る状態ではなく、少し時間をくださいと言いましたが、母親からは、「嫌がっても説得する誠意を見せてください。嫌がるから説得しないでは筋が違う!」と正直怖いと感じてしまう内容のメールをもらい、おれは、嫌がっている娘に説得する誠意とはなに?そんな誠意を見せる必要はない。と返事をしました。すると、「私には高裁の決定があり、即座に娘の引き渡しを求める権利があります。」と業務連絡のように強行的なメールをされてしまい、母親には娘の意志や、子供達がなぜ母親の下に行く事を拒むようになったかを理解することはできないのだと思いました。また、親権ってたしかに権利で、法律で決められている絶対の権利かもしれない。でもその親権っていうのは、子供を自分のそばに置いておける所有権や、物のように扱える権利ではないと、おれは思います。
親権を持つ親権者は、その子供に対する養育責任を持たなければいけない。何があっても子供から目を背けずに、子供を必死に守り育てるという責任と義務を課せられたものが親権であり、ただ子供を自分の下に置けるというような権利ではありません。母親は何もわかってくれていない。おれは負けてしまったけど、かならずまた同じことを繰り返すだろう。繰り返す時に、おれに助けを求めてはまた私は責められるという必要の無い母親のプライドによって娘は苦しい生活環境を過ごすことになるだろうと思いました。おれは、きっと考え方がおかしな親かもしれません。でも、母親にも家族として生きる選択をしてほしいとすべてを許し合う覚悟もありましたが、母親にあるのはおれへの憎しみと、怒りしかないのだと理解しました。
家庭裁判所で出された決定は、即時抗告をして高等裁判所に棄却された時点で確定しており、最高裁に抗告をしても、最高裁が判断するのは、その出された決定が憲法違反かどうか?というだけの判断であり、今までの互いの主張を嘘か本当か、子供にとってどちらと暮らせば幸せであるかという判断を最高裁はしません。つまり、やっても無駄というだけの事実です。でも、おれは特別抗告を最高裁にしました。子供達の意志は明確なものであったからです。それで何かが変わる期待はなくても、子供達が諦めないならば、父親としておれは諦める訳にはいかないからです。
母親の代理人にはFAXを送りつけました。10日の出来事をもって私は特別抗告をします。それが決定を抑制する権限がないことも理解しているから、今後はそちらの好きなようにしてもらって構わないと。ただし娘が拒絶している限りは、おれが母親に娘を引き渡すようなことは絶対にしないと伝えました。また、あなたたちが裁判でつき続けた嘘は、家族のこれから先も断ち切ることの出来ない関わりを壊してしまっているのであり、代理人としてあなたがしたことを私はかならずそれが嘘であると証明できるものであり、母親もあなたとも私は絶対に許さない。と回答をFAXしてからは何ら連絡はなくなりました。
その後また時間は過ぎて行きました。母親からは子供達の様子を聞いてくることも無く、会いたいと言う話もなく、娘と息子は安定した状態に戻り、兄妹として絆を深めながら、お兄ちゃん、お姉ちゃんと成長していきました。
11月の末に、最高裁への特別抗告は棄却されました。予想通りでした。
でも、おれは再度、裁判をする覚悟を持っていました。その理由は、息子は年があければ小学生になります。その前に卒園があります。娘は幼稚園に入園するのです。そんな子供達の門出に兄妹を引き離して兄妹を傷つけることは子供にとって残酷な仕打ちでしかないからです。そして母親は8月から約4か月も、離婚時と同じで子供の為に何もせずに時間だけを経過させてしまいました。もうこれ以上の理由は無く、最後に正しい答えを願い争う事を覚悟しました。
後に、母親からは、何もしなかった理由を述べられています。
特別抗告をして結果が出れば、娘を諦めるだろうということで、子供達の心にも配慮して結果が出るまでは何もしなかったが、結果が出るや否や、即座に再度の申し立てを行った事により、今まで散々待ってやったがもう見逃すことはないと強制執行を決めたと母親側から言われています。
娘を諦める?諦めない?って何だろうと思います。
預けてからのその意味の分からない母親の考えが、結果として兄妹の絆を深める結果を招いたと理解はできないのかな。
子供達にとって、1ヶ月や2ケ月がどれだけ大事な時間だと母親にはわからないのかな?
おれは娘を諦めたくないとか、そういう気持ちではないんだよな。
ずっと兄妹でたくさんの寂しさや戸惑いを乗り越えてきた姿を2年間見てきました。
そして兄妹は二人でいるから、親の離婚で心に受ける傷や寂しさを人格形成に影響がすくなく兄妹として乗り越えてきたのだと思います。
母親は、息子の親権変更を申立しておきながら、審判の決定に対して即時抗告しませんでした。どんなに綺麗ごとを並べてもそれは息子を切り捨てたという事なんです。
おかしな話なんだよ。おれは子供に暴力を振るう危険があって、家事も育児も出来ない父親であり、養育者としては向いていない。また、息子は父親を怖がっていて、明確に私(母親)と暮らしたいと言っている。これが母親が審判で主張していたことなのに、なぜ息子の親権を諦めているのか?すべてが理解出来ない。ようは、娘か息子をおれから奪い取れば満足なんだよ。母親が裁判で争ったのは憎しみから争った報復裁判なんだとずっとわかっていたけど、これでハッキリしたんです。
彼女は、離婚して娘を預かってからも、ずっと子供の心配をするのは二の次にしていました。話し合いをしたいとおれが出向けば、嬉しそうに食事をして楽しんでいました。
でも、「どうするの?」というような話をすれば、激しく感情を荒立たせて、話し合いは出来なくなり、帰ってしまうこともあり、または「死んでやるから」などと車から飛び出して行きました。
でも、それでおれが帰ると、かならず「今日はありがとう。楽しかったです。」や、「本当はもっと一緒に居たかった。一緒にいると楽しいからまた会いたいです」などと少し本心がわからないような行動や態度をずっとしていました。
おれも馬鹿じゃないんだよ。
娘を預けてからも、その前も、母親は母親として生きておらず、彼女は女性として生きていたんだとわかっていました。だからどんなに話し合いを拒み、感情的になり帰ってしまったとしても、おれがあえてまた数日後にご飯でも行くかと?誘えば彼女は普通に喜んでその食事に来るのです。裁判ではそれを子供達の様子を聞き出せるからとかなり無理がある言い訳をしていたけど、彼女が子供の様子を聞いてくることは一切ありませんでした。免許を所得した後は、彼女は嬉しそうにおれの車を運転しては鼻歌を歌いながら行く場所も決めずにドライブをしていただけです。その中で、子供の事を話せば、機嫌が悪くなり、逆上され、いつものように険悪な状態で帰っていくだけでした。でも、また誘えば来るのです。おれは、ひどい男かもしれない。
そんな彼女であり母親の考えをわかっているから、あえてそれが彼女なんだと確証を持ちたくて、喧嘩をしてもそれでもわざと誘っていたんです。
今となっては、彼女をおれには救ってあげることが出来ませんでした。
でもせめて兄妹を今のまま幸せな生活をさせてあげて、二人が笑って、それぞれが新しく進み始めた小学校、幼稚園という夢と希望のある二人の生活を過ごさせてあげたかったです。母親である彼女にもそれだけはわかってあげてほしかったです。
今年の2月18日に、母親からは強制執行を娘はされています。突然夕方17時にたくさんの背広を着た人が家の前に現れて、おれは強制執行だとすぐわかりました。
娘が受け入れるならそれでいいんだと執行官を家に上がらせて、娘は怯えていましたが、その執行を親であるおれは妨害することは出来ないとわかっていたから、執行官の指示に従いただ見ているだけでした。息子もぐっと我慢していたと思います。少しして母親が2年ぶりに家に上がってきました。8月の事もあり娘はすぐに嫌がり怯えて泣いていました。それでも執行官は娘をまるで物のように扱い、嫌がる娘を母親に抱かせるよう指示をしてきました。娘はもがいて逃げようとしていましたが、母親も大人であり、娘が母親から逃げ出すことはできないよう抱きしめる力を母親は強めていたと思います。
息子はそんな中、おれに寄って来て、「おとうさん、○○はなにかしてもいいの?」と聞いてきました。おれは、「何を言ってるの?お父さんがいいなんて言えないよ」と息子に言いましたが、息子は話を聞かずに娘の下に近づき、妹の手を握りました。そんな姿を母親も執行官も無視をして娘を説得していましたが、息子はさらに、妹の手を離さずに母親から離そうと引っ張っていました。娘はかなりもがき暴れており、「お父さん!お父さん!」と私に助けを求めていました。おれも、もう限界だと思い、「もういいんだよ。ごめんねお父さんが悪い」と言っておれは娘の手を掴みました。そこで娘はおれにしがみついてきたから、おれはそのまま娘を抱き上げてあげたけど、執行官は「取り上げましたね!」と明らかにおれが妨害したと言いたいようだったから、「これを妨害したと言うならば、好きに言えばいい。おれはどんな罰も受けますよ」と頭にきて言ってしまいました。娘は私の首をがっちりと掴み、絶対に離れない覚悟をもっていいたと思う。その後は児童カウンセラーとか言ってた女性の指示で、おれの膝に娘を座らせたまま母親と娘は話をしていたけど、娘は母親を睨みつけて、「行かない!帰って!お父さんと一緒がいい!お父さんといたいから帰って!」などと、3歳の娘は母親に自分の意志を伝え続けていました。そんな時に、カウンセラーの女性が見かねて間に割って入り執行は不能となりました。
最後におれは、何がしたいんだ?おまえも親ならいいかげんにこんなことをしないで子供の気持ちを考えてやれよ!とつい言いはなってしまったけど、母親は「あんたが追い出したんでしょ!」ってぶち切れられましたが、おれは、いまそれなのか?っていうのが素直な感想でした。
強制執行が不能になり、おれはその時の子供達の姿を見て、このままではいけないし、こんな姿が本来の家族ではないと争った自分たちの行動を恥じました。おれは、子供達が母親を怖がったり、拒絶するような今を間違えていると思い、この執行の次の日に裁判の1回目の期日であったけど、そこに出席したら裁判を取り下げて、家族として親として母親と子供達のいまを修復する方法を模索したいと決めていました。
でも、母親側は結局それすら、おれがどうせ勝てないだろうと思い裁判を取り下げ時間稼ぎをしたものと推測されるとくだらない主張をしてきて、人身保護請求をしてきました。
執行から2ケ月が経ち、息子は幼稚園を卒園して小学校に入学しました。
娘は晴れて幼稚園に入園して、毎日楽しそうに通園しています。そんな門出を迎えた兄妹が毎日を笑って過ごす中で、母親は保護請求をしてきたのです。
つまり、母親は兄妹を引き離すことに何ら躊躇はないという考えの持ち主なんです。
また、執行から2ケ月がすぎた今になりなぜ保護請求をするのか、信じられないという以外の言葉はありません。娘が幼稚園に行く事だって知っていたはずです。執行後すぐに請求をしたのかと日付を見れば、3月の末に請求していました。つまり入園後になることもわかりながら保護請求をしてきたんです。
兄妹が傷つくことも関係ないみたいです。なのに、母親は息子の親権をわたしは諦めていませんと言いました。
意味がわからない。で、こんな請求をして兄妹を引き離して、息子が母親を好きだと思うのかな?息子は、ずっと執行後お兄ちゃんとしての覚悟を持ち続けています。
「ママに娘が連れて行かれたら、あと10年したらかならず○○が、○○ちゃんを迎えに行くから!」と娘と約束していました。おれには、小学校6年生になったら、娘は何歳になってるの?中学3年生なら、娘は何歳?などと、息子はお兄ちゃんとして妹を連れて行かれても、自分がいつか迎えに行くんだという息子の年齢では考える必要の無い事を考えるようになってしまいました。それって?おれがいけないんだと思います。おれがこんな争いをしてしまったから、息子にいらぬ心配をさせてしまい、普通の6歳とは違う覚悟を息子に持たせてしまったんだと思います。
そして学童保育を行きたい行きたいと希望したことが少し気になっていて、息子と話をしました。すると息子は正直に行きたい理由を話してくれました。
「お父さんは頑張ったけど、ママに○○ちゃんは連れて行かれちゃうかもしれないでしょ。そうなったら迎えに行ける年齢になるまで、○○は寂しいよ。だから家に居ても寂しくなるから学童に行きたかったの。お父さんがお仕事でいないときは○○ちゃんがいたから寂しくなかったけど、ママに連れて行かれたら寂しいから。」
これが息子が学童保育に理由でした。おれは息子が居なくなったら寂しいよなんて馬鹿な父親みたいな話をしていたが、息子は息子なりに妹が居なくなった時の準備をしてしまっていたのです。悔しいとしか言えないし、おれは母親を心から許すことが出来ません。それに息子は学童に行く理由をもう1つ話しました。
「夕方にママが○○ちゃんをまた連れて行こうと来たら、怖いし嫌だから。」
「目の前で○○ちゃんが泣いていて連れて行かれるのを見たくないから。」
ひでえ話だよ。
おれたち家族は何か悪い事をしたのかなって思います。娘を預かった理由も、世間でいうような違法な奪取でもなく、違法な状態で養育監護を開始したわけでもない。
1ヶ月過ぎても迎えに母親は来ないで、預けたおれに隠したまま教習所に通い、それを嬉しそうに聞いてほしかったと報告してきた。親権者でありながら、その娘を二の次にして教習所。養育するために働く事をせずに教習所。離婚をしながらも現実を受け入れずに支払いも一切せずに名義変更もせずに教習所。その金は親御さんが出す。でも母親の名義の生命保険や携帯電話の料金はそれから10か月間の間やりますと言いながらも、一度も約束は守られずに10か月間おれが支払続けていたんです。
裁判では母親と母親の弁護士はこう言ってきました。親権の裁判であり、支払いは親権とはまったく関係の無いことである。たしかにそうでしょうが、親権に関係ないなら何をしてもいいのかな?親としての常識の面ではおかしな考えだとおれは思う。
裁判で提出する陳述書にこんなふうに主張しているが、母親側弁護士は審判に移行してすぐに携帯など支払いでおれに書面を送ってきています。
「名義変更に協力してくれた暁には、今日まで支払われた携帯料金をお支払いします」
なんか言い方が頭に来て、次の日にすぐ返事をしてやりました。携帯だけじゃないんじゃないですか?またこっちは被害者ですよ。協力した暁にはって?そちらは何様のつもりですかと?回答したが、その後は弁護士から一切の連絡は無く、返事も無く、挙句の果てに最初に伝えた、親権には関係ないことだそうです。
なんか日本の法律ってもんは、何の役にも立ちません。子の福祉なんて日本の親権問題では何ら親権に考慮なんかされちゃいないんです。
母親は裁判になったら、迎えに来てもいないのに、何度も迎えに行ったがおれがかえしてくれないと主張する。事実娘の誕生日母親は迎えに来ていないし、家にも来ていないのに裁判所に提出したものには迎えに行ったが、返してくれず玄関から締め出されたと主張する。でも、おれは母親からこんなメールを娘の誕生日から3か月後に貰っているんです。「娘の誕生日の日に、私は海老名まで行きました。でも、誕生会をやるから来ても返さないと言われていたから、泣きながら帰りました。」とね。
来てないんだよ。裁判で主張したあれはいったい誰との話なんだろう?おかしいとしか言えないんです。でも裁判所はそんな証拠を提出しても、それを無視して見もせずに、母親は迎えに行ったが父親が返すことを拒否して返さなかったと審判の決定文に書いてしまったんです。不当と言っても間違ってないよね。
教習所は、前向きになる契機として裁判所は育児放棄ということにはならないと認定し、また母親は、教習所に行ったことは育児放棄と言われるような事ではないと裁判では手のひらを返したように開き直りました。調査官の調査では、おれに対して調査官は、教習所に父親に子供を預けて行って何が悪いんですか?とあからさまに言われてしまったしね。最初から裁判の結果なんて決められていたんだと思うよ。
子供の気持ちなんて裁判所も、母親もみんな無視しているんです。
何をしても、子供達兄妹は母親の下に行く事を兄妹として拒み続けただけなんです。
そして母親の安易な覚悟が、兄妹の絆を深めてしまう今の状態を招いただけなんです。
これがもし逆ならば、どうなんだろう?父親が親権を持っていながら、母親と同じことをしたならば?きっと父親から親権を変更しろと裁判所は認めるんだよ。
おかしな国だと思います。父親は働いて養育費を払えばいいと思われている。
父親が子育てはしちゃいけないみたいです。でも平然と兄妹を分離させている裁判所も愚かです。ただし、娘を奪われてしまったあとに母親が息子の親権変更をしてきたら?
たぶん息子の親権変更も認められてしまい、意味も分からずに息子は母親に奪われてしまうのだと思います。それが家庭裁判所の現実です。
娘の人身保護請求は、かなり厄介なもんでどんなにおれがやましいことがなくても、保護請求は勝てません。
いずれ裁判所に娘を連れてこいと命令され、そこで娘と引き離されてお別れすることになります。それに従わなければ、おれは拘留されてしまいます。
だから従うしかないんです。おれには息子もいるから拘留されるわけにはいかないんです。親権が無いおれが、娘を育ててきたことは非監護者による違法な監護であり、監護者である母親の下で監護されることこそが子の福祉に適うものであると日本の司法では判決が出されるんです。
これがおれたちが生きている日本って国の現実なんです。
そして、2年間も何もせずにいた母親は、娘を取って満足するんだよ。
おれは、女性を信じられなくなりそうですよ。
強制執行でも、その前に一度引き渡した時も、娘は母親を嫌がっています。
母親の前で母親に対して、娘は明確に意思を伝えているんです。それでも、娘を奪い取りたいというのが母親の答えなんだよ。何がしたいのかと言われたら、おれにはこの先一生理解なんて出来ません。諦めていないや、私と暮らしたいと言っていると散々なことを言い続けた、息子の気持ちなんか考えていないんだよ。じゃなきゃ、こんなやり方を選択しないんです。
でも、おれはこの保護請求に付き合います。
負けるとわかっているから、請求を認めてしまう選択もおれにはあります。
だけどそれをしたら、おれが親としてやましい事をしたと認めたことになります。
そして、息子と娘が伝え続ける意志を尊重しない父親になります。母親からは、今になり私がここまで子供に拒絶される理由は、大人による操作(洗脳)があったのではと疑いしかないと本当に愚かな疑いを持たれています。こんなことしか言えない人何なんだなって、もう呆れています。
おれは、負けることを覚悟して、最後まで息子と娘に父親として精一杯頑張って諦めなかったよ!という父親の姿を見せてあげるだけです。そんな父親の姿を二人は絶対に忘れずに成長してくれると信じています。そして息子がいつかお父さんになった時には、おれの姿を思い出して、強く優しい立派なお父さんになってくれると思います。
娘は、母親になった時に、自分の愛する子供を精一杯愛して、たくさんの愛情をそそげる優しくて暖かいママになり、家族を支えてくれる母親になるとおれは信じています。
この2年間、父親でありながら2人の子供を育てて来て、すごく大変な毎日で、辛くても、その辛いと思う事も出来ずに毎日は過ぎて行きました。
でも、離婚はしてはいけない。父親にも、母親にも、それぞれの役割があって、その役割があるからうまくバランスは取れて、子供達は成長していくんです。
幼稚園はさ、母親の役割を重要とする場所でした。父親が簡単に入り込めるような場所ではありません。離婚したばかりに、息子は遠足で仲の良い友達と一緒にまわることができませんでした。子供達の付き合いよりも、幼稚園とかってママ同士の付き合いであらかたは決められていくんです。どんなに仲が良い子でも、ママたちはそれぞれで固まって行動します。そこに父親が一緒にまわることをそう簡単には受けいれてくれるようなことはないんです。だから息子は友達とまわれなくて寂しかったかなって思ってしまうがさ、息子は言いました。「いつもと一緒で、お父さんと、妹がいるから楽しくていいね!」と。おれは息子に2年間支えられて親として頑張ってこれたと思っています。
だから、子供達がママとお父さんがいる普通の生活をして、笑ってくれる幸せの為に争ってしまった親としての自分たちを反省して、子供達の為に出来ることをしようと母親に伝えてきたけど、もうすぐ家族は粉々に崩壊します。
ここから先は、息子にすべてを託します。息子が言う覚悟が本当に10年後に覚えていて、本当にする気なのかは今はまだわかりません。でも、妹をかならず迎えに行くと言うならば、おれはそれをダメだとは言いません。思うようにやらせてあげて、その結果がどうなるかによっては、そこで父親として兄妹の意志がはっきりすれば、おれはまた立ち上がればいいんです。
負けることは確定しているけど、おれは最後まで保護請求される理由はないと主張反論をしていきます。別れることを知りながら、幼稚園に通う娘を見ていることは地獄です。別れることをわかりながら、娘に愛され必要とされる毎日は生きた心地もありません。でも、おれは間違えたことをしてきたとは思えないし、どれだけ考えても親として恥じることもありません。
おれは?間違えていますか?それが自分ではわからなくて、こんなことを書いてしまいました。嫌な気分になられた人がいたならば謝ります。申し訳ありませんでした。
私と、息子から引き離されます。
母親から、人身保護請求をされてしまいました。
理由は、私に親権がないからです。
なんでこんな2年を過ごしたのか?それは私も子供たちもわかりません。
ただ、2年前に離婚をして、わずか2週間で母親からわたしは娘を預かりました。保険証も何も渡されずに、最初は3日か1週間くらいなら、何とかしますと言う話で預かりました。
でも、その後は母親からまったく連絡がなく、1ヶ月が過ぎました。私達夫婦は、よく喧嘩をする夫婦でした。
わたしも、元妻も頑固だったからでしょう。
でも、離婚をしては、また籍を入れるという妻との結婚を2度も繰り返していて、この離婚もまたすぐに戻ると思っていました。
理由は、離婚しても、妻は自分の携帯や保険の支払いすら変えないこと、名義変更もしていないこと、そして妻の私物や、服を何一つ取りに来ない。持ち出すこともなかったからです。娘を預けたのも、そういった経緯もあり、きっと母親は安易な気持ちで娘を預けたのだと思います。
娘を預かってからは仕事どころではなく、バタバタと毎日は過ぎて行きました。1週間しても、2週間しても、母親が娘を迎えにくることはありませんでした。
息子は、年少から年中に進級して、今のままでは行けないと、家族を1日でも早く元に戻さないといけないと考え、母親を誘い、家族で箱根に旅行に行く計画をして、旅行に行きました。2年前のことです。
娘はまだベビーカーに乗っていてそんなに歩き回る年齢ではありません。当時1歳11ヶ月です。息子はママと一緒で嬉しくて、すごく楽しそうにはしゃいでいました。
そんな姿を見て、やはり子供たちの為に家族を修復しなければと思いました。おれたち夫婦は、離婚の現実を知っていたのです。離婚をしても、届けを出しても、また婚姻届を出せば、家族に戻れてしまうということを。
それが互いに離婚する重大性を軽視していたのだと思います。そんな中で、子供たちが寝た後に母親から報告されたことは、
「わたし凄くない?仮免許、10日で取れたんだよ!」
という言葉でした。
突然の妻からの報告を聞いて、最初はその意味を理解するまでにおれは激しく意味がわからない状態になっていたけど、教習所?に行ってるのか?と、理解した瞬間に内心、怒りが込み上げてきました。
でも、2人の子供は遊び疲れてよく寝ています。だから、ここで母親を責めて喧嘩は出来ないと、平静を保ちました。
おれは、教習所行くお金は?と聞いたら、
親が出してくれた。と言われました。
呆れてしまったのです。たしかにおれは娘の父親です。だから、父親に預けて教習所に行ったことを普通なら間違いだとは言えない。でも離婚しているのです。また、預かるときに母親は、
「1人になりたい。無意味に娘に八つ当たりをしてしまう自分がいる。」と言いました。
だから、そんな状態では娘に良い状態ではないから、おれは一時的に預かりました。そのときは妻の状態も心配して、おれは娘を預かったのです。
旅行を話した際に妻は言いました。
「お金がないから、知り合いのとこでバイトしている。」
その前は、「実家には住めないからアパートを借ります。だから、養育費上げてくださいと。」
バイトに関しては、頑張れよと伝えました。
養育費に関しては、いくらですか?と返事をしたら、
「そこには食いつくんだね。」と言われてしまいました。
間違えた反応をしたつもりはないが、何で嫌味を言われたか?今もわかりません。
旅行前に話し合いで会った際は、実家に住めないなら、もうこんなことやめて帰って来なよと言ったけど、母親は、
「アパートを借りたし、お金も払いましたからと言いました。今更やめたら違約金がかかる」と言われて、それはおれが払うからと言ったが、話はあやふやにされ終わりました。
そんな色々なことがありながら、旅行して知らされた事実は隠された状態で教習所に通っていた事実でした。
たった1ヶ月だったとしても、子供たちは戸惑いや寂しさを持ち、それでも2人は笑って生活して兄妹は成長していました。なのに、母親は何をしているのだと…悔しさと呆れてしまうしかおれにはありませんでした。
その話をされてからは、母親と話すことを避け、次の日に母親を駅に送り帰りました。子供たちは、泣くだろうと予想していたけど、息子はまたね!と言いました。娘はバイバイと母親に手を振りました。
車の外で母親は唖然として泣きそうな顔をしていたことを今も覚えています。
その後、母親からは、
「何もしないで毎日をダラダラ過ごしていたけど、今のままではいけないと、必死に考え出した答えが教習所でした」とメールがきました。
「育児放棄と言われても仕方ない。弱くてひとりぼっちは私だったね。」と母親からは言われました。
おれには、母親の娘を守り、育てる覚悟は感じませんでした。だから、裁判にして娘の親権をしっかりして、娘のために兄妹のために父親としてすべてを捧げて生きる覚悟をしました。
簡単に娘を預け、何ら報告や相談すらせずに、教習所に通いだした。仮免許を10日で取れたという話を逆算しても、3月10日に預かり、4月12日に教習所を聞いているのだから、少なからず3月の末には教習所に通い始めている。預けてわずかで通い始めているなら?なぜ娘を迎えに来なかったのだろ?またバイトをしていると言っていたが、本当にしていたのだろうか?アパートを借りると言うのもどうなっているんだ?というそんな疑問しかなくて、それでも争いを選ぶ前に母親に最後に確認をしました。
娘はどうするのかですか?と、
返事は、「免許が取れたら迎えに行きます。2人とも。」
という返事を受けて、おれは意味がわかりませんでした。母親はけっきょく娘より教習所を優先し、そのあとは私に親権がある息子まで連れて行くという身勝手すぎる考えを理解して、裁判で争う選択をしました。
それからは、娘の親権がないまま調停、審判と進み、一年が過ぎていました。家庭調査官の調査が終わるまで、おれは弁護士をつけずに素人として戦ってしまいました。
母親は代理人を審判と同時につけており、審判になってからは母親の嘘と事実を捻じ曲げたすべてによって、楽しかった家族の思い出はすべて壊されていきました。
わたしは、でっち上げDV夫にされました。子供たちにその暴力の矛先が向かう危険があると言われました。普段は子供などそっちのけで、気が向けば育児を手伝い、気が向けば子供と遊ぶ程度の父親だとありもない嘘の主張をされ続けました。子供を養育する父親としては適性がなく、今のままでは子供たちが危険であると保全処分を申し立てられました。でも、そんな事実はありません。母親はメールでこう伝えてきていました。「お父さんといたほうが幸せかもしれません。」また、「そちらの環境を信頼していて甘えていました。」と、メールで言いながら、審判になり弁護士がついたら、散々な嘘を主張していました。
次には、度重なる暴言、暴力により怖くてしかたがなかった、そして離婚した不安から体調を崩した。と言われました。母親はおれが暴言、暴力を振るい怖かったのです。
なのに、離婚してから、審判になるまでの8ヶ月間、支払いや名義を変えることをしていません。怖い旦那と関わりたくないなら変えるはずなのに変えていないから、関わってしまうのです。また、教習所を聞いた後日に、母親はおれにメールでこう伝えてきていました、
「自分に起きた嬉しかったこと、楽しかったことを、ただあなたに聞いて欲しかった。私は頑張ったよと聞いて欲しかった。」
これが妻からきたメールです。
審判での母親の主張は何なのだろうとしか言いようがなく、信頼はすべて崩れていきました。
でも、日本の家庭裁判所は、母性優先であり、どんな嘘を母親がついて、それは違うと私が証拠をどれだけ膨大な量を提出しても、母親の嘘を認めてしまいました。
つまり、おれは何もしていないのに、母親が突然作り上げた最低、最悪な父親として、審判の決定が出されてしまったのです。でも、家庭裁判所は小さなミスをしてしまいました。それは、母親の嘘をすべて認定しながら、息子の親権変更を棄却しているのです。また、子供たちは調査時の様子では父親を何よりも慕っている様子が伺えたと決定分に書いてしまいました。
つまり、裁判所は適当な判断をしたんだよな。
協議離婚で、親権を分けているし、虐待があるような命に関わる事件ではないから、現状維持で終わらせちゃえみたいな感じだよ。母性優先を前面に出した結果でありながら、父親としてのおれを間違えていると否定しきれなかったんだよ。だから、こんなふざけた答えを出してしまったのです。それが娘を苦しめたのです。
そんな家裁の判断や、母親の嘘をすべて反論し証拠を出し抗告をしたけど、高等裁判所は即時抗告をいとも簡単に棄却しました。
昨年8月7日のことです。
おれは、裁判所の決定に従うしかないと、母親に話し合いをしたいと伝えて、母親と話をして、娘を引き渡しました。その話し合いに母親は飲酒した状態で現れたけどね。
息子はママの所に行かないと、ハッキリ意思を母親に伝えていました。娘は何もわかっていなかったようで、大好きな叔父さんたちの家にお泊まりする感覚で、お泊まりしてくると笑って行くと言っていました。
だから、このまま行かせようと覚悟をして母親に引き渡しました。泣いていないまま行かせてあげたいと思ったからです。もし泣いてもこれ以降は、母親がしっかり娘をなだめてくれると信じていたからです。
私と、息子は2人で帰路につき、息子には本当にこれでいいの?と聞きました。息子は、「お父さんといたい。お父さんがいい」と言ってくれた、その言葉で我慢していた涙が溢れ出てきました。
家に着き、娘がいなくなった寝室で息子と2人で寝ようとしていたら、母親からメールが入りました。日が変わった0時28分です。
「息子は大丈夫だった?ちゃんと寝た。娘は、おうちに帰りたい、お父さんと寝たい、お父さんがお仕事ならば、ばあばと寝たい。とずっと泣いているよ私がしてることは間違ってるのかな。私のせいで、平和に過ごしてた○○家を壊してしまったのかな。邪魔者は私みたいね。」
このメールが届き読んでいると、息子は、「だれ?」と聞いてきたので、ママだよと言うと、どうしたの?と言われたので、娘が泣いているみたいだよと息子に言うと、息子は、突然何も言わずに、ベッドから飛び降り、走って1階まで降りて行き、玄関から、お父さん行くよ!と大きな声で呼んできました。私も、その息子の行動に驚いていたのでしょう、何も考えずに気づいた時には車に乗り、娘がいる埼玉の母親の下に向かっていました。息子は、車の中で、「やっぱりね」と言いました。「ほんと、わがままで、グズだよね。」と息子は言っていましたが、そんな息子の姿を見て、私自身は兄妹の強い絆を改めて感じ取った瞬間でありました。母親にメールで、そちらに向かいますとメールをしました。そうするとすぐに母親から電話がありました。泣き止まないから、娘をなだめてほしいという電話でした。電話を出た時から、娘が泣き喚いているのは電話越しに聞こえており状況はすぐに理解出来ました。娘と電話で話し、にいにとお父さんで迎えに行くから、泣かないで良い子にして、大好きな梅干でも食べて待っていなさいと話をしました。娘は、「はい」とは言いますが、「早く迎えに来て」などとやはり泣きわめいており、そうした際に母親が電話に出て、一旦切るからと言って、電話を切られました。3分くらいしてすぐにまた母親から電話がかかってきて、そこから埼玉に着くまでの時間は、「やっぱ返さない。」「返します」などと不安定な精神状態での会話が延々と繰り返されました。
それ以外では、私は離婚をする気は無かったや、あなたが悪いなどと、娘が電話の後ろで泣いているにもかかわらず、怒りから私をなじり続けていました。私は、平成25年2月の離婚時と何ら変わらない母親の姿をわかり、こんな現実を誰一人わからずに家裁はただ簡単に娘を引き渡し、”少しすれば慣れるだろう”という決定を出したことを悔しく感じました。また母親は審判時には、父親との信頼関係は崩壊している、子供達の養育をすることに父親は適していないなどと散々たる嘘をついていながらも、結局、監護補助者に頼らずに私に頼ってしまったのは、審判時の主張がすべて虚偽の主張であった最大の証拠であるのです。電話で私を母親がなじり続ける間、娘は電話の後ろでずっと泣き続けていました。私はその娘の泣き喚く声を聞こえながらも、母親以外の誰かはいないのかと電話越しに心配をしながら聞いていましたが、監護補助者がいたという感じはなく、また誰かが娘をあやしているという感じもありませんでした。埼玉にもうすぐ着くころに、娘の泣き声は止まりました。私はすぐに疲れて寝たのだとわかりました。あやすこともなく、疲れて寝るまで泣かし続けることしか出来ないのだと、娘を心配になったことは間違いありません。そして、もしここで心を鬼にして娘を迎えに行かなければ、朝になり目覚めた娘はまた泣き叫び、精神的に子どもながらに壊れてしまうのだと心配をしましたし、離婚当時と同じように母親が娘に八つ当たりをするような事になるのではと不安もありました。母親は電話でこう言ってきました。「いきなし今日の今日で、おむつやパジャマすらないから!」と、しかし母親は「なんならこのまま連れて帰っても、私はかまわない」と言ったのはあなたですと私は言い返しています。その場その場の思い付で行動することも何ら離婚当時と変わっていないのだと思いました。そして、平成25年3月10日に娘を預けた時も、「娘は泣いたでしょう?」と母親には言われましたが、わたしは、泣いていないよ。娘が家に着き、最初に言った言葉は、「おうち~、○○ちゃんのおうち~」であり、娘は泣き喚いたりしていないよ。それは、審判時に陳述書にも書いていますと。母親に伝えました。母親は自分だけじゃないと言いたかったのかもしれません。娘が泣き喚くのは私のせいではないと言いたかったのでしょう。しかし現実は違うのです。そして、母親でありながら、泣き喚く娘に何も出来ず、何もしないで疲れて寝るまで5時間以上も娘を泣かせていることは、おれは愚かだとしか言えません
娘を連れて帰ってからは、娘は激しく母親を怯えるようになりました。そして家から出ない、お父さんかお兄ちゃんが居なければ絶対に外に出ない不安定な状態になりました。
母親は先日の失敗を必死に何とかしようとおれにメールをしていました。「娘が一度泣き止んだ瞬間に見ていた赤ちゃんの人形の動画のおもちゃはなに?」のようなことを聞いていました。おれは、それはメルちゃん。だけど娘にとってはポポちゃんです。服は着させても絶対脱がします。そして服は日に日に無くなっていきますと伝えました。娘の現状をまずメールで伝えて、今すぐにどうこう出来る状態ではなく、少し時間をくださいと言いましたが、母親からは、「嫌がっても説得する誠意を見せてください。嫌がるから説得しないでは筋が違う!」と正直怖いと感じてしまう内容のメールをもらい、おれは、嫌がっている娘に説得する誠意とはなに?そんな誠意を見せる必要はない。と返事をしました。すると、「私には高裁の決定があり、即座に娘の引き渡しを求める権利があります。」と業務連絡のように強行的なメールをされてしまい、母親には娘の意志や、子供達がなぜ母親の下に行く事を拒むようになったかを理解することはできないのだと思いました。また、親権ってたしかに権利で、法律で決められている絶対の権利かもしれない。でもその親権っていうのは、子供を自分のそばに置いておける所有権や、物のように扱える権利ではないと、おれは思います。
親権を持つ親権者は、その子供に対する養育責任を持たなければいけない。何があっても子供から目を背けずに、子供を必死に守り育てるという責任と義務を課せられたものが親権であり、ただ子供を自分の下に置けるというような権利ではありません。母親は何もわかってくれていない。おれは負けてしまったけど、かならずまた同じことを繰り返すだろう。繰り返す時に、おれに助けを求めてはまた私は責められるという必要の無い母親のプライドによって娘は苦しい生活環境を過ごすことになるだろうと思いました。おれは、きっと考え方がおかしな親かもしれません。でも、母親にも家族として生きる選択をしてほしいとすべてを許し合う覚悟もありましたが、母親にあるのはおれへの憎しみと、怒りしかないのだと理解しました。
家庭裁判所で出された決定は、即時抗告をして高等裁判所に棄却された時点で確定しており、最高裁に抗告をしても、最高裁が判断するのは、その出された決定が憲法違反かどうか?というだけの判断であり、今までの互いの主張を嘘か本当か、子供にとってどちらと暮らせば幸せであるかという判断を最高裁はしません。つまり、やっても無駄というだけの事実です。でも、おれは特別抗告を最高裁にしました。子供達の意志は明確なものであったからです。それで何かが変わる期待はなくても、子供達が諦めないならば、父親としておれは諦める訳にはいかないからです。
母親の代理人にはFAXを送りつけました。10日の出来事をもって私は特別抗告をします。それが決定を抑制する権限がないことも理解しているから、今後はそちらの好きなようにしてもらって構わないと。ただし娘が拒絶している限りは、おれが母親に娘を引き渡すようなことは絶対にしないと伝えました。また、あなたたちが裁判でつき続けた嘘は、家族のこれから先も断ち切ることの出来ない関わりを壊してしまっているのであり、代理人としてあなたがしたことを私はかならずそれが嘘であると証明できるものであり、母親もあなたとも私は絶対に許さない。と回答をFAXしてからは何ら連絡はなくなりました。
その後また時間は過ぎて行きました。母親からは子供達の様子を聞いてくることも無く、会いたいと言う話もなく、娘と息子は安定した状態に戻り、兄妹として絆を深めながら、お兄ちゃん、お姉ちゃんと成長していきました。
11月の末に、最高裁への特別抗告は棄却されました。予想通りでした。
でも、おれは再度、裁判をする覚悟を持っていました。その理由は、息子は年があければ小学生になります。その前に卒園があります。娘は幼稚園に入園するのです。そんな子供達の門出に兄妹を引き離して兄妹を傷つけることは子供にとって残酷な仕打ちでしかないからです。そして母親は8月から約4か月も、離婚時と同じで子供の為に何もせずに時間だけを経過させてしまいました。もうこれ以上の理由は無く、最後に正しい答えを願い争う事を覚悟しました。
後に、母親からは、何もしなかった理由を述べられています。
特別抗告をして結果が出れば、娘を諦めるだろうということで、子供達の心にも配慮して結果が出るまでは何もしなかったが、結果が出るや否や、即座に再度の申し立てを行った事により、今まで散々待ってやったがもう見逃すことはないと強制執行を決めたと母親側から言われています。
娘を諦める?諦めない?って何だろうと思います。
預けてからのその意味の分からない母親の考えが、結果として兄妹の絆を深める結果を招いたと理解はできないのかな。
子供達にとって、1ヶ月や2ケ月がどれだけ大事な時間だと母親にはわからないのかな?
おれは娘を諦めたくないとか、そういう気持ちではないんだよな。
ずっと兄妹でたくさんの寂しさや戸惑いを乗り越えてきた姿を2年間見てきました。
そして兄妹は二人でいるから、親の離婚で心に受ける傷や寂しさを人格形成に影響がすくなく兄妹として乗り越えてきたのだと思います。
母親は、息子の親権変更を申立しておきながら、審判の決定に対して即時抗告しませんでした。どんなに綺麗ごとを並べてもそれは息子を切り捨てたという事なんです。
おかしな話なんだよ。おれは子供に暴力を振るう危険があって、家事も育児も出来ない父親であり、養育者としては向いていない。また、息子は父親を怖がっていて、明確に私(母親)と暮らしたいと言っている。これが母親が審判で主張していたことなのに、なぜ息子の親権を諦めているのか?すべてが理解出来ない。ようは、娘か息子をおれから奪い取れば満足なんだよ。母親が裁判で争ったのは憎しみから争った報復裁判なんだとずっとわかっていたけど、これでハッキリしたんです。
彼女は、離婚して娘を預かってからも、ずっと子供の心配をするのは二の次にしていました。話し合いをしたいとおれが出向けば、嬉しそうに食事をして楽しんでいました。
でも、「どうするの?」というような話をすれば、激しく感情を荒立たせて、話し合いは出来なくなり、帰ってしまうこともあり、または「死んでやるから」などと車から飛び出して行きました。
でも、それでおれが帰ると、かならず「今日はありがとう。楽しかったです。」や、「本当はもっと一緒に居たかった。一緒にいると楽しいからまた会いたいです」などと少し本心がわからないような行動や態度をずっとしていました。
おれも馬鹿じゃないんだよ。
娘を預けてからも、その前も、母親は母親として生きておらず、彼女は女性として生きていたんだとわかっていました。だからどんなに話し合いを拒み、感情的になり帰ってしまったとしても、おれがあえてまた数日後にご飯でも行くかと?誘えば彼女は普通に喜んでその食事に来るのです。裁判ではそれを子供達の様子を聞き出せるからとかなり無理がある言い訳をしていたけど、彼女が子供の様子を聞いてくることは一切ありませんでした。免許を所得した後は、彼女は嬉しそうにおれの車を運転しては鼻歌を歌いながら行く場所も決めずにドライブをしていただけです。その中で、子供の事を話せば、機嫌が悪くなり、逆上され、いつものように険悪な状態で帰っていくだけでした。でも、また誘えば来るのです。おれは、ひどい男かもしれない。
そんな彼女であり母親の考えをわかっているから、あえてそれが彼女なんだと確証を持ちたくて、喧嘩をしてもそれでもわざと誘っていたんです。
今となっては、彼女をおれには救ってあげることが出来ませんでした。
でもせめて兄妹を今のまま幸せな生活をさせてあげて、二人が笑って、それぞれが新しく進み始めた小学校、幼稚園という夢と希望のある二人の生活を過ごさせてあげたかったです。母親である彼女にもそれだけはわかってあげてほしかったです。
今年の2月18日に、母親からは強制執行を娘はされています。突然夕方17時にたくさんの背広を着た人が家の前に現れて、おれは強制執行だとすぐわかりました。
娘が受け入れるならそれでいいんだと執行官を家に上がらせて、娘は怯えていましたが、その執行を親であるおれは妨害することは出来ないとわかっていたから、執行官の指示に従いただ見ているだけでした。息子もぐっと我慢していたと思います。少しして母親が2年ぶりに家に上がってきました。8月の事もあり娘はすぐに嫌がり怯えて泣いていました。それでも執行官は娘をまるで物のように扱い、嫌がる娘を母親に抱かせるよう指示をしてきました。娘はもがいて逃げようとしていましたが、母親も大人であり、娘が母親から逃げ出すことはできないよう抱きしめる力を母親は強めていたと思います。
息子はそんな中、おれに寄って来て、「おとうさん、○○はなにかしてもいいの?」と聞いてきました。おれは、「何を言ってるの?お父さんがいいなんて言えないよ」と息子に言いましたが、息子は話を聞かずに娘の下に近づき、妹の手を握りました。そんな姿を母親も執行官も無視をして娘を説得していましたが、息子はさらに、妹の手を離さずに母親から離そうと引っ張っていました。娘はかなりもがき暴れており、「お父さん!お父さん!」と私に助けを求めていました。おれも、もう限界だと思い、「もういいんだよ。ごめんねお父さんが悪い」と言っておれは娘の手を掴みました。そこで娘はおれにしがみついてきたから、おれはそのまま娘を抱き上げてあげたけど、執行官は「取り上げましたね!」と明らかにおれが妨害したと言いたいようだったから、「これを妨害したと言うならば、好きに言えばいい。おれはどんな罰も受けますよ」と頭にきて言ってしまいました。娘は私の首をがっちりと掴み、絶対に離れない覚悟をもっていいたと思う。その後は児童カウンセラーとか言ってた女性の指示で、おれの膝に娘を座らせたまま母親と娘は話をしていたけど、娘は母親を睨みつけて、「行かない!帰って!お父さんと一緒がいい!お父さんといたいから帰って!」などと、3歳の娘は母親に自分の意志を伝え続けていました。そんな時に、カウンセラーの女性が見かねて間に割って入り執行は不能となりました。
最後におれは、何がしたいんだ?おまえも親ならいいかげんにこんなことをしないで子供の気持ちを考えてやれよ!とつい言いはなってしまったけど、母親は「あんたが追い出したんでしょ!」ってぶち切れられましたが、おれは、いまそれなのか?っていうのが素直な感想でした。
強制執行が不能になり、おれはその時の子供達の姿を見て、このままではいけないし、こんな姿が本来の家族ではないと争った自分たちの行動を恥じました。おれは、子供達が母親を怖がったり、拒絶するような今を間違えていると思い、この執行の次の日に裁判の1回目の期日であったけど、そこに出席したら裁判を取り下げて、家族として親として母親と子供達のいまを修復する方法を模索したいと決めていました。
でも、母親側は結局それすら、おれがどうせ勝てないだろうと思い裁判を取り下げ時間稼ぎをしたものと推測されるとくだらない主張をしてきて、人身保護請求をしてきました。
執行から2ケ月が経ち、息子は幼稚園を卒園して小学校に入学しました。
娘は晴れて幼稚園に入園して、毎日楽しそうに通園しています。そんな門出を迎えた兄妹が毎日を笑って過ごす中で、母親は保護請求をしてきたのです。
つまり、母親は兄妹を引き離すことに何ら躊躇はないという考えの持ち主なんです。
また、執行から2ケ月がすぎた今になりなぜ保護請求をするのか、信じられないという以外の言葉はありません。娘が幼稚園に行く事だって知っていたはずです。執行後すぐに請求をしたのかと日付を見れば、3月の末に請求していました。つまり入園後になることもわかりながら保護請求をしてきたんです。
兄妹が傷つくことも関係ないみたいです。なのに、母親は息子の親権をわたしは諦めていませんと言いました。
意味がわからない。で、こんな請求をして兄妹を引き離して、息子が母親を好きだと思うのかな?息子は、ずっと執行後お兄ちゃんとしての覚悟を持ち続けています。
「ママに娘が連れて行かれたら、あと10年したらかならず○○が、○○ちゃんを迎えに行くから!」と娘と約束していました。おれには、小学校6年生になったら、娘は何歳になってるの?中学3年生なら、娘は何歳?などと、息子はお兄ちゃんとして妹を連れて行かれても、自分がいつか迎えに行くんだという息子の年齢では考える必要の無い事を考えるようになってしまいました。それって?おれがいけないんだと思います。おれがこんな争いをしてしまったから、息子にいらぬ心配をさせてしまい、普通の6歳とは違う覚悟を息子に持たせてしまったんだと思います。
そして学童保育を行きたい行きたいと希望したことが少し気になっていて、息子と話をしました。すると息子は正直に行きたい理由を話してくれました。
「お父さんは頑張ったけど、ママに○○ちゃんは連れて行かれちゃうかもしれないでしょ。そうなったら迎えに行ける年齢になるまで、○○は寂しいよ。だから家に居ても寂しくなるから学童に行きたかったの。お父さんがお仕事でいないときは○○ちゃんがいたから寂しくなかったけど、ママに連れて行かれたら寂しいから。」
これが息子が学童保育に理由でした。おれは息子が居なくなったら寂しいよなんて馬鹿な父親みたいな話をしていたが、息子は息子なりに妹が居なくなった時の準備をしてしまっていたのです。悔しいとしか言えないし、おれは母親を心から許すことが出来ません。それに息子は学童に行く理由をもう1つ話しました。
「夕方にママが○○ちゃんをまた連れて行こうと来たら、怖いし嫌だから。」
「目の前で○○ちゃんが泣いていて連れて行かれるのを見たくないから。」
ひでえ話だよ。
おれたち家族は何か悪い事をしたのかなって思います。娘を預かった理由も、世間でいうような違法な奪取でもなく、違法な状態で養育監護を開始したわけでもない。
1ヶ月過ぎても迎えに母親は来ないで、預けたおれに隠したまま教習所に通い、それを嬉しそうに聞いてほしかったと報告してきた。親権者でありながら、その娘を二の次にして教習所。養育するために働く事をせずに教習所。離婚をしながらも現実を受け入れずに支払いも一切せずに名義変更もせずに教習所。その金は親御さんが出す。でも母親の名義の生命保険や携帯電話の料金はそれから10か月間の間やりますと言いながらも、一度も約束は守られずに10か月間おれが支払続けていたんです。
裁判では母親と母親の弁護士はこう言ってきました。親権の裁判であり、支払いは親権とはまったく関係の無いことである。たしかにそうでしょうが、親権に関係ないなら何をしてもいいのかな?親としての常識の面ではおかしな考えだとおれは思う。
裁判で提出する陳述書にこんなふうに主張しているが、母親側弁護士は審判に移行してすぐに携帯など支払いでおれに書面を送ってきています。
「名義変更に協力してくれた暁には、今日まで支払われた携帯料金をお支払いします」
なんか言い方が頭に来て、次の日にすぐ返事をしてやりました。携帯だけじゃないんじゃないですか?またこっちは被害者ですよ。協力した暁にはって?そちらは何様のつもりですかと?回答したが、その後は弁護士から一切の連絡は無く、返事も無く、挙句の果てに最初に伝えた、親権には関係ないことだそうです。
なんか日本の法律ってもんは、何の役にも立ちません。子の福祉なんて日本の親権問題では何ら親権に考慮なんかされちゃいないんです。
母親は裁判になったら、迎えに来てもいないのに、何度も迎えに行ったがおれがかえしてくれないと主張する。事実娘の誕生日母親は迎えに来ていないし、家にも来ていないのに裁判所に提出したものには迎えに行ったが、返してくれず玄関から締め出されたと主張する。でも、おれは母親からこんなメールを娘の誕生日から3か月後に貰っているんです。「娘の誕生日の日に、私は海老名まで行きました。でも、誕生会をやるから来ても返さないと言われていたから、泣きながら帰りました。」とね。
来てないんだよ。裁判で主張したあれはいったい誰との話なんだろう?おかしいとしか言えないんです。でも裁判所はそんな証拠を提出しても、それを無視して見もせずに、母親は迎えに行ったが父親が返すことを拒否して返さなかったと審判の決定文に書いてしまったんです。不当と言っても間違ってないよね。
教習所は、前向きになる契機として裁判所は育児放棄ということにはならないと認定し、また母親は、教習所に行ったことは育児放棄と言われるような事ではないと裁判では手のひらを返したように開き直りました。調査官の調査では、おれに対して調査官は、教習所に父親に子供を預けて行って何が悪いんですか?とあからさまに言われてしまったしね。最初から裁判の結果なんて決められていたんだと思うよ。
子供の気持ちなんて裁判所も、母親もみんな無視しているんです。
何をしても、子供達兄妹は母親の下に行く事を兄妹として拒み続けただけなんです。
そして母親の安易な覚悟が、兄妹の絆を深めてしまう今の状態を招いただけなんです。
これがもし逆ならば、どうなんだろう?父親が親権を持っていながら、母親と同じことをしたならば?きっと父親から親権を変更しろと裁判所は認めるんだよ。
おかしな国だと思います。父親は働いて養育費を払えばいいと思われている。
父親が子育てはしちゃいけないみたいです。でも平然と兄妹を分離させている裁判所も愚かです。ただし、娘を奪われてしまったあとに母親が息子の親権変更をしてきたら?
たぶん息子の親権変更も認められてしまい、意味も分からずに息子は母親に奪われてしまうのだと思います。それが家庭裁判所の現実です。
娘の人身保護請求は、かなり厄介なもんでどんなにおれがやましいことがなくても、保護請求は勝てません。
いずれ裁判所に娘を連れてこいと命令され、そこで娘と引き離されてお別れすることになります。それに従わなければ、おれは拘留されてしまいます。
だから従うしかないんです。おれには息子もいるから拘留されるわけにはいかないんです。親権が無いおれが、娘を育ててきたことは非監護者による違法な監護であり、監護者である母親の下で監護されることこそが子の福祉に適うものであると日本の司法では判決が出されるんです。
これがおれたちが生きている日本って国の現実なんです。
そして、2年間も何もせずにいた母親は、娘を取って満足するんだよ。
おれは、女性を信じられなくなりそうですよ。
強制執行でも、その前に一度引き渡した時も、娘は母親を嫌がっています。
母親の前で母親に対して、娘は明確に意思を伝えているんです。それでも、娘を奪い取りたいというのが母親の答えなんだよ。何がしたいのかと言われたら、おれにはこの先一生理解なんて出来ません。諦めていないや、私と暮らしたいと言っていると散々なことを言い続けた、息子の気持ちなんか考えていないんだよ。じゃなきゃ、こんなやり方を選択しないんです。
でも、おれはこの保護請求に付き合います。
負けるとわかっているから、請求を認めてしまう選択もおれにはあります。
だけどそれをしたら、おれが親としてやましい事をしたと認めたことになります。
そして、息子と娘が伝え続ける意志を尊重しない父親になります。母親からは、今になり私がここまで子供に拒絶される理由は、大人による操作(洗脳)があったのではと疑いしかないと本当に愚かな疑いを持たれています。こんなことしか言えない人何なんだなって、もう呆れています。
おれは、負けることを覚悟して、最後まで息子と娘に父親として精一杯頑張って諦めなかったよ!という父親の姿を見せてあげるだけです。そんな父親の姿を二人は絶対に忘れずに成長してくれると信じています。そして息子がいつかお父さんになった時には、おれの姿を思い出して、強く優しい立派なお父さんになってくれると思います。
娘は、母親になった時に、自分の愛する子供を精一杯愛して、たくさんの愛情をそそげる優しくて暖かいママになり、家族を支えてくれる母親になるとおれは信じています。
この2年間、父親でありながら2人の子供を育てて来て、すごく大変な毎日で、辛くても、その辛いと思う事も出来ずに毎日は過ぎて行きました。
でも、離婚はしてはいけない。父親にも、母親にも、それぞれの役割があって、その役割があるからうまくバランスは取れて、子供達は成長していくんです。
幼稚園はさ、母親の役割を重要とする場所でした。父親が簡単に入り込めるような場所ではありません。離婚したばかりに、息子は遠足で仲の良い友達と一緒にまわることができませんでした。子供達の付き合いよりも、幼稚園とかってママ同士の付き合いであらかたは決められていくんです。どんなに仲が良い子でも、ママたちはそれぞれで固まって行動します。そこに父親が一緒にまわることをそう簡単には受けいれてくれるようなことはないんです。だから息子は友達とまわれなくて寂しかったかなって思ってしまうがさ、息子は言いました。「いつもと一緒で、お父さんと、妹がいるから楽しくていいね!」と。おれは息子に2年間支えられて親として頑張ってこれたと思っています。
だから、子供達がママとお父さんがいる普通の生活をして、笑ってくれる幸せの為に争ってしまった親としての自分たちを反省して、子供達の為に出来ることをしようと母親に伝えてきたけど、もうすぐ家族は粉々に崩壊します。
ここから先は、息子にすべてを託します。息子が言う覚悟が本当に10年後に覚えていて、本当にする気なのかは今はまだわかりません。でも、妹をかならず迎えに行くと言うならば、おれはそれをダメだとは言いません。思うようにやらせてあげて、その結果がどうなるかによっては、そこで父親として兄妹の意志がはっきりすれば、おれはまた立ち上がればいいんです。
負けることは確定しているけど、おれは最後まで保護請求される理由はないと主張反論をしていきます。別れることを知りながら、幼稚園に通う娘を見ていることは地獄です。別れることをわかりながら、娘に愛され必要とされる毎日は生きた心地もありません。でも、おれは間違えたことをしてきたとは思えないし、どれだけ考えても親として恥じることもありません。
おれは?間違えていますか?それが自分ではわからなくて、こんなことを書いてしまいました。嫌な気分になられた人がいたならば謝ります。申し訳ありませんでした。
