綿津見神社
福島県 飯舘村にあります。
御祭神は、
闇於迦美神(くらおかみのかみ)
五十猛神(いそのたけるのかみ)
大綿津見神(おおわたつみのかみ) 
玉依姫神(たまよりひめのかみ)
鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)です。
県道12号線の原町川俣線からちょっと外れた所にあります。入口となるT字路の信号には大きな石碑がありますので目印になります。
綿津見神社も全国にいくつかあります。御祭神が海の神様なのである程度巡ってる方はあれっ?となるかもしれません。その辺りも含めて紹介していきます。
こちらが入口です。最近鳥居が新しくなりました。鳥居をくぐりすぐ左側に手水舍があります。
先程の鳥居から階段を登った所からの写真です。

登ると第二鳥居と拝殿が見えてきます。

こちらが拝殿です。何というか美しい拝殿です。
では何柱も神様がおられるので御祭神の紹介からします。
・闇於迦美神(くらおかみのかみ)
愛宕神社の神様にもなっている火之迦具土神(かぐつちのかみ)を伊邪那美命(いざなみのみこと)が産んだ際に陰部に大火傷を負ってしまい亡くなってしまいます。それに怒った伊弉諾命(いざなぎのみこと)に斬り殺されそこからの血が刀についた時に産まれたのが御祭神の一人である神様です。水の神様であり龍神様です。水の神様として有名な貴船神社等に祀られています。
・五十猛神(いそのたけるのかみ)
八坂神社や氷川神社等の神様になっており天照大御神の弟である須佐之男神(すさのおのかみ)の子供です。林業の神様となっています。日本国土全体に木々の種を植えて樹木が茂るようになったとされています。
・玉依姫神(たまよりひめのかみ)
こちらの神様はいろいろ諸説といいますか、様々神話があるのでどの玉依姫神なのかは断定できないですが、その中の一つは、初代天皇である神武天皇の母親ともされています。
・鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)
平安時代の武将で東北に縁がある神様です。県内では郡山市に豊景神社という景政さんが御祭神になっている神社や山形県南陽市の熊野大社にも景政さんが植えたとされる大きな銀杏の木や境内社として祀られてたりします。
教科書でもさらっと出てきた後三年の役(1083年)という東北の豪族との戦いで右目を射られています。各地では景政さんが右目を洗ったとされる池があります。その中の一つが以前紹介した山形県山形市にある『鳥海月山両所宮』です。
そして何故こちらの綿津見神社に祀られているのか長年疑問でした。
神職さんがX(旧Twitter)を開いておりお互いフォロワーで名前を知っててくれた事もあって色々お話を聞く事が出来ました。
直接関わりがあるかは不明で後づけのような所もあるとの事でしたが、当時この辺りでは胡麻を育てていたようでそれに転んで右目を怪我したそう。それからは飯舘村では胡麻を育てていないというお話でした。お話聞かなければ分からない事でした。
・大綿津見神(おおわたつみのかみ)
綿津見神社のメインの御祭神です。海の神様で伊弉諾命と伊邪那美命の神産みで産まれた神様です。詳しくないのであまり書けませんが同じ名前ですが別神とされている神様とかもおられるようです。
長くなりましたが、由緒を書きます。
創建は大同2年(807年)です。現在の福島県浪江町にある苕野神社(くさの神社)から勧請されたのが始まりです。
その苕野神社ですが…海に近い場所だったので東日本大震災で津波の被害を受けてしまいました…。ですが、Googleで検索するとごく最近綺麗な新しいお社が再建されてるようです!
話を戻しまして江戸時代には、当時の土地の領主が八龍大明神を合祀して八龍大明神と改称している。たぶんこれが現御祭神の一柱である闇於迦美神なのかもしれません。
明治3年に現在の綿津見神社になっています。他にもいろいろありますが、長くなったの分かりやすくする為にだいぶ由緒はぶいてるので気になる方は調べてください。
では境内社の紹介です。
雷神社です。こちらの一社のみです。
では御朱印の紹介です。

こちらが普段頂ける御朱印です。

こちらは夏詣という期間に頂いた御朱印です。綿津見神社さんではX(旧Twitter)を開いているので是非確認してみてください。
飯舘村も東日本大震災で発生した原発事故により一時全村避難となり廃れた状態でしたが、最近道の駅も出来たりと少しずつ復興しています。
とても静かで良い神社なので是非参拝してみてください。
閲覧して頂きありがとうございました。皆様に良いご縁がありますように🙏✨