忌中、喪に服することの意味 | トラウマから自由にするRCメソッド (株)RCM社長 高橋万紀子のブログ

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心の整理と心の外科手術専門のカウンセラー
養成もしています。

最近、
近しい人が亡くなっても
すぐに日常生活に戻るようになっていて
故人を悼み悲しむ時間を
取りにくくなっているように感じます。

そういう私も
祖父がこの夏亡くなったときには
時間を取らずにすぐに仕事に戻りましたが。
しかし私は、自分でわかっていたので
遺体が安置されている部屋へ
何度も何度も足を運び
祖父の側に座って思い出に浸りました。

体調を崩していたし
苦しまずに逝ったし
などなど
何かを死につけ加えたりせず
ただ
祖父の人柄や
一緒に過ごした時間を思い出しました。

私は、祖父の胸を痛めた孫でした。

私がいなけりゃな。
…というのは、私が自分の傷を
手放した後だから言えること。
祖父が私をゆるしたかは知りませんが
私は祖父をゆるしていますから。

それでも
かわいい孫だったんだよね。
私も大好きだよ。

このように
祖父のことを考え
思い出に浸ることが
喪に服することの意味です。
悲しみを、
他のことに紛わされずに悲しむ
そのための期間です。

これを大切にできないと
悲しみが怒りに変化して悪さをします。

昔の人は
よくわかっていたのですね。

ちゃんと悲しめていない人は
これからでも時間をとって
喪に服する
ということをした方が良いと思います。

もし
心の中で埋もれてしまって
悲しみをうまく見つけられないようでしたら
カウンセリングをお申し込みくださいね。