脳幹出血発症から、3年経ちました。 | ・・・神様のくれたプレゼント・・・

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・・・脳幹出血から奇跡の復活を遂げ、新たなる夢へ向かって走り出した男のブログです。
    

2011年1月26日

まさに人生が変わった一瞬の出来事「脳幹出血」の
発症から3年が経ちました。


たった一本の血管が切れただけで

その部分が頭の中だっただけで

とても恐ろしいことでした。


このブログが退院後から書き始めたこともあって
たまにそんなことも書いて良いかな?

などと思います。

今、あの時から3年がたったいまでも恐ろしさは消えません。

また発症したら嫌だ。
もうあのリハビリを繰り返すのは嫌だ。

ただただそれだけです。

脳卒中の人のブログもたくさん読んだ。
そして悩みを共有して自分を落ち着かせた。

脳卒中の患者は、みな発症の日を誕生日という。

たしかにその気持ちがわかるような気がする。

まさに生まれ変わりなのだ。


ただ、僕は違う生まれ変わりを体験した。

今まで自分が犯した罪。
罪というわけじゃないけど、
今までの自分とさよならをした。
いや、さよならをする決断をした。


退院後、リハビリ中も何度も何度も本を読み、
生まれ変わる努力をしてきた。

まだまだな人間かもしれないけど、
ちょっとは変わってきた気がする。

色んなことを変えてみた。

まず生まれ変わるために変えてみたことは

本籍地を変えた。

住所を変えたこともないほど、違うところに住んでいても
住民票を変えたこともなかった自分なのに、まずそこから変えてみた。

本籍地を変えた。

住所を変えた。

職業を変えた。

そしてなにより考え方を大幅に変えてみた。


退院後、リハビリを続ける中で、使命をもらった。

だって死亡率80%の脳幹出血から生き残り、

生き残ったとしても重度の障害が残ると言われているにもかかわらず、

右顔面半分の三叉神経痛以外はほぼ治ったのだ。


看護師、リハビリの先生には感謝している。

特にリハビリ業界のために何かするべきではないかと自問自答を続けた1年があった。

在宅医療、介護の狭間を見て、不思議に思った。


だけど医療も介護も、全く知らない。

そんな時、ひとりの看護師の青年に出会った。


彼は起業がしたかった。


そこで色々探しているうちに

訪問看護ステーションというキーワードに出会った。

これは在宅医療、介護の業界において改革を起こすポイントの事業ではないか?


訪問看護という事業について色々調べた。

これはいける。

業界を変えられる。

今までお世話になった看護師、リハの先生たちに恩返しができる。

いまだ!

やりたいことが見つかった瞬間だった。



そして社会復帰から半年後、訪問看護事業をするための法人を設立した。

その2ヶ月後、2014年1月、東京都から訪問看護ステーション事業の指定業者となった。


全く経験もない業界への挑戦が始まった。

それから1年。

泥のような一年だった。

懐かしかった。25年ぶりの泥臭い創業。


でもこれを体験しないとダメだ。

創業メンバーに語り続けた。


なんとか形になってきた。

企業としてようやく始まった2015年。


まだまだな企業だが、

訪問看護、訪問介護、居宅介護支援、福祉用具と

指定業者となり、着々と進めている。


今までにない在宅維新をかかげ、

人生を変え、人生をかけた戦いが始まったばかりだ。


このままじゃいけない在宅医療、介護を変えるべく

これからもぼくらは戦い続ける。


そんな仲間を探す旅に出発した。



発症から3年。

自分で道を切り開き変えてきた。

こんな人生も捨てたもんじゃない。

同じ病気で悩んでいる人の代表というわけじゃないけど、

脳幹出血という絶望的な病気から

こうも復活した人間もいるってことを知ってもらえると

ありがたい。


だって、俺も色んな人のブログで励まされたから。

これからも一生懸命生きていくから。