こんにちは、花眠です。
今回は最近の出来事からの気付きを共有させてくださいぃぃぃぃぃぃいいいい!
内容としては引き寄せとかサレンダーとかそのあたりかと思いますが私の近況です。
前提として、
去年から諸事情あり母親と二人暮らしを始めました。
スターシードとかライトワーカーとか、そのあたりの呼ばれ方をする人間に「あるある」な「家庭環境しんどい」典型の私です。
そのあたり今回は触れませんが、結構な長い期間、片手で数えられるほどしか会っていませんでした。
そんな感じの前提を踏まえてお読みください。
とにかく自宅で独りになりたい
二人暮らしを始めた当初かなり衝突したり互いに耐えられない気持ちを抱えたりなどあり「いろんな辛い経験をしてきたはずだけど、まだこんな地獄があるんだなぁ。ここは地獄だ」と思ったほどでしたが、少しずつ折り合いの付け方が分かってきて衝突することも減ってきました。
それでも、一人暮らしの長い私は「単純に、兎に角、独りになりたい」と辛くなることがありました。(HSPだからかな?そのあたりは全く不勉強なので触れませんが)
自分が何処かへ泊まりに行くなどするのではなく「自宅で独りになりたい」のです。
しかし、母は、かなりの遠方から私の暮らす地域に来たため近くに友人は居ませんし、体が弱っているため、ひとりで遠くへは行けません。
ぞっとする電話
ある日の夕方、仕事の合間にスマホを見てみると母が前日に(薬を出してもらうための)定期検診に行った病院から鬼の着信履歴が入っていました。(ネット予約の登録を私の電話番号でしていたため)
これはただごとではない…
そう思い、直ぐに折り返すと前日にした検査の結果が良くなくて今日明日…出来るだけ早くに病院に来るように伝えられました。
詳しくは話せないとのことでしたが、そもそも1週間くらい前から物凄く体調が悪い様子だったので血の気が引きました。
そして親に電話をして、そのことを伝えると「このまま入院するかも」と本人も自覚をしており、しかし当日は時間的に行けないので「明日に行きます」と病院にまた折り返しの連絡を入れました。
就業の時間まで1時間半ほどで、私は「明日は休ませてもらいますが今日は最後まで働いていきます…」と上司に伝えたのですが私の様子が動揺を絵に書いたようだったのか「いや、もう帰っていいよ」と言われて、素直に帰らせてもらいました。
帰宅から30分後
親が倒れました。
最後まで働いていたら完全に間に合わなかった…!
緊急事態でテンパりましたが頭の片隅では「ああ、奇跡だ…」とも思っていました。
そして人生で初めて救急車なるものを呼びました。
そして入院
めちゃめちゃ省くのですが、
検査の結果、状況から考えられる大きな病気は見つかりませんでした。
私は私でテンパっていたので「検査」したのが運ばれた当日か翌日か記憶が定かでは有りません…(たしか当日だったような…)
母本人は「逆に、じゃあ何?って感じで怖い」と言うので私は「何も(悪いものが)見つからなかったことのが良いに決まってるじゃん!」と励ましました。
しかし「じゃあ何?」なのです。
不思議なんです。
余談、帰り道
救急車で運ばれるというのは(慣れていらっしゃる方や大きな病院に掛かり付けている場合などは別なのでしょうが)「空いている近くの病院」になるらしく、聞いたことあるけど行ったことのないし良く分からない場所の病院に運ばれました。
親の入院などが決定し書類などに署名などをし朦朧とした頭で考えたのです。
(本来なら通院に付き添うため仕事は休みにしておいて良かった!)
ここ何処だよ!?!?どうやって帰るんだよ!?!?!
Googleマップを開いてみると近くに、とあるオタク向けの店がありました。
あ!この辺か!よし帰れるぞ!
うわあああああ(元)オタクで良かったぁぁぁぁ!!!!!
疲労困憊だったのでタクシーを呼ぼうとしましたがタクシーに乗ることが普段なかったため躊躇しました。
…けれど私には某オタクショップという道標が在る!!!!!!
アホらしいと、お思いでしょうが本当に「希望」でしたし、そんな自分の思考回路のアホらしさに自分自身が面白くもなり救われた気持ちになりました。
過去のすべての経験(オタクショップ通い)は無駄ではない…!言い切れる…!マジで…!
ふと気がつく、宇宙の荒っぽさ
親は色々と不安そうでしたし、病院のご飯の不味さや枕の硬さなどに不満そうでした(家から枕抱えて持っていったよ…)
しかし明らかに、
入院する前…
…1ヶ月ほど前くらいより…
…なんならそれより前より顔色が良いのです。
私は親の小さな不調を、小さくずっと不安に思っていたので「これで良かったんだ、なるようになってるんだ」と心底から感じました。
そして、ある種の安堵の中で気がついたのです。
「自宅で独りだ」
仕事の後に病院に行ったり、勿論心身とも疲弊はするのですが
「これ自分が望んだことだったんだ」
そう感じたのです。
それにしても、だいぶん荒っぽすぎやしませんか…宇宙さんよぉ……
そう1度、愚痴て、そして母への気持ちは一旦切り離して、
「自宅の独りの時間を有効に使おう!」と決めました。
ずっと気になっていた親がいつも座っているソファの周辺を念入りに掃除してみたり、
心落ち着けて文章を綴ってみたり、
これです⬇
流石に「楽しもう!」とまでは行かないまでも「家に母が居ない間にやりたかったこと」の6割ほどは、やることができました。
無事退院と思いきや、
結局、根本的な原因らしき原因は見つからず、それは本来良いことなのですが親は次回の診察日まで不安で仕方がないと言いました。
そんな退院から3日後、また病院から電話があったらしいのです。
仕事を終えて帰宅すると夕飯の支度が途中までしてありました。
前日までは夕飯なんて作れる気力も体力もない様子だったので「途中まで」なのも分からなくもないのですが、そうではない雰囲気が凄く、詳しく聞くと、作っている最中に病院から電話が来てそこから気力がなくなってしまったらしいのです。
内容としては【検査した内容とは別の箇所で】【今のところ心配するようなものではない】けれど一応小さなものが見つかったとのことでした。
さらに聞くと本当に心配するようなものではないっぽいのですが母は凹みを通り越し、かなりネガティブなことを言い始めました。
親と暮らし始めた初期、そのネガティブ発言に私は腹が立って悲しくなって心が辛くて疲弊して「地獄」と何度も思わされたのです。
それがまた来てしまったのです。
初期の頃は、母のその発言と真正面から向き合ってしまい地獄を味わったのですが今回は取り合わないことにしました。
「大丈夫って先生言ってるんでしょ?大丈夫だよぉぉぉぉ」と呑気なふりをして言うに徹しました。
しかし自部屋で何度も「もう勘弁してよ!」「ふざけんなよ!神様!宇宙!こんな現実もう嫌だよ!もうウンザリだよ!マジふざけんなよ!なんなんだよ!」と声に出して宇宙に喧嘩を売りながら泣いて不貞寝をしました。
宇宙意識の現実創造論的にそれが正解なのか不正解なのかは分かりませんが…(多分間違ってる)
一応は「理想の現実」も宇宙に投げてみました。
翌日
職場で「さあ今から働くぞ!」というタイミングで親から電話が掛かってきました。
昨日の今日なので嫌な予感しかしませんでしたが聞くと(詳しくは書きませんが)また不調が出たとのことでした。
それ自体は物凄く心配するべきことなのですが昨日のネガティブ発言からくる行動ではなく、私は「そっちか」という、ちょっとした安堵も感じるほどでした。
なので「直に病院に行きたいから着いてきて欲しい」という親に「夕方でもいい?」と聞いて「入院の用意をして待ってる」と了解を得て働くことにしたのですが、そこは他の人に「直に帰ってあげなよ!」と半ば叱られる形で働かずに帰宅したのでした。(そういう存在マジありがたい…)
入院をするかもしれない前提なので枕も持って病院に行きました。
結果として
検査の結果、むしろ「確実に良くなっている」とのことでした。
親が異変を感じて心配したことに関して医師から自宅での検査も必要とされなかったのと、私自身も、ほんの僅かながら薬の知識(資格)があるため親に「これこれこういうことだと思うよ。そうじゃなかったらこれこれこういう検査をしないといけないはずだから本当に安心していいと思うよ」と伝えることが出来ました。
ついでに前日に電話があった「別の件」についても医師から直接はっきり「一応、経過観察はするけど心配することではないよ」と伝えられたそうです。
本来だったら退院から2週間ほど後に聞くはずだったことの途中経過ながら「安心して良い」と直接知れた親は急に元気を取り戻しました。
肉体的には親も私も、かなり疲弊はしましたし、職場など色々な方に迷惑はかけたのは申し訳ないなぁという気持ちなのですが、「2週間以上」が「数時間」に短縮されて大きな安心感を得ることが出来たのは本当に喜ぶべきことでした。
いやぁ…宇宙、良い仕事するよね…
かなり荒っぽすぎるけどね……
今回のことに関しては、完全に自分のオーダーが宇宙に「通っている」感覚があります。
それ以外の「出来事」と「今回の出来事」の違いを説明するのは難しいのですが「今回の出来事」に関してはストンと「大きな意思や意図の力」を感じるのです。
逆に「そうだと信じている」から「私が意図した現実」が作り出されるのかも知れません。
面白い部分をすくい取る
ここからはオマケ的な内容です。
出来るだけ詳しくならないように書きましたが職場の上司などに経緯を説明する際「いや…花眠さん、明るく話してるけど全然笑えないんだけど…」と言われるほどには母の入院は実際は大変なことでした。
しかし私は「私かわいそう」にならないように決めている(そう決めていないと「私かわいそう」を発動しがち)ので、渦中も、後日に人に話す時にも「出来るだけ面白い部分をピックアップする」ようにしています。
それはだいたいいつもそうで、思考の癖が基本的にそうなっているみたいです。
(勿論、本当に心底から辛い時は「辛い!」と叫ぶべきだとも思っています。誰かに救いを求めるのも必要なことです。だって人間だんだもんね!!!)
今回のことで言えば「マップを開いたらオタクショップが表示されて救われた、元オタクで良かった!」という話を周囲にいちばんしていますし、他にも「人生初救急車体験」で不思議に思ったことや発見したことなど、聞いている相手に「花眠さん…なんなら楽しそう…」と思われたかもしれません。事実の大変さと打ち消し合う感じでしょうか。
なので、現実世界で「こんな中でも面白いこと」が起こります。
母の入院中の夜中に普通ならありえない珍事件があったみたいですし、(母関係なし、声だけ聞こえてきたとのこと)
病院から帰るタクシーが、カーナビの設定もよく分からない研修生と教官だったり(客を乗せる前に練習しないのかな?テンパってたのかな?)、
退院から2日後に隣の家族が謎の引っ越しをしたので私と母は「下世話だけどね」と言いながらも興味津々だったり、
病気や入院の大変さから目をそらすことのできる普段なら起こらない出来事が頻発したのです。
それらを「単なる迷惑」と捉えるひともいるのかもしれませんが前述したように私は「面白い部分」に目が向くように自分を仕向けているので「うわー!めっちゃウケるわ…神様(宇宙さん)やってくれるな…」と感謝の気持ちさえ湧き上がってきたのです。
最後に
状況だけ見たら「悲痛」に感じるかたが多いのが現状なのかもしれませんし、母の体調も万全ではなく喜ばしい状況ではありません。
けれど、私は生活の中で「好転している」と感じることが母の入院以降、多くなりました。
とにかく仲の悪かった母子だったので長く離れていた母と暮らすことになったのは(経緯から考えて)「宇宙に仕向けられた学び、なんなら最終試験」と捉えていました。
実際そうなのだとしか思えません。
宇宙に仕向けられたのだったら「乗り越えられる」はずなのです。
「今は陰陽の法則の陰の極み」「だから当然、好転する」「もっと明るくなるし大きくなるし強くなれる」
そう信じることでしか乗り越えられない苦しい場面も多くありました。
私達は「人間」というタイムリミットのある容れ物に入った小宇宙なので、タイムリミットが有るがゆえの葛藤は続くのですが、しかし、その中で「どう人間という遊びを楽しむのか」ということを深く考えさせられた数日間でした。
だらだらと綴り、特に何かしらのアンサーはないのですが、いつもと同様、読んでくださった貴方にとってひとつでも明るい気付きがあれば嬉しく思います。


