ちゃんと書いて、来年公募に出そうと思っています。
小説!!
看護師さんが主人公な物語ですー。
昨日、現役の看護師さんとお話ができたのですよー!!!
ちなみに今年初めて公募に挑戦してみました。
いっこはまるっきり駄目駄目で、もうひとつは来月…だったかな、発表です。
私の勝手な方法ですが、いろんなことを経験した方が、
新しい考え方に出会ったり、面白いものを見つけられたり、
自分の描ける幅を広げる事につながるよーな気がします。
自分は薄っぺらな人間なので、どんなに絞り出しても、私の想像力は、たかが知れている。
脳みそ1.5kgもしかないし。
1.5kgっていったら、牛乳パック2本にもならない。
世の中、1.5kgにおさまんないくらいいろんな物語で成り立っている。
以下「老いと死」についてつらつら考えてみました。
◆
私は、幸運にも、触れたり、味わったり、読んだり、聴いたり、見たり――経験することができる。
あと何年後か、何十年後かは解らないけれど、
その能力を、ひとつひとつ、手放していかなければならない。
老いとともに。
この世に生まれてから、手に入れたきたモノや獲得した能力は、
老いとともに、すこしずつ、この世においていくのです。
ぜんぶ残らず。
歩く能力や、モノを食べる力、水分を取る力。
なにげない、簡単だって思える営みは、覚えていないだろうけれど、
訓練で獲得してきたモノなんだ。
何度も失敗して。
転んで。
むせて。
そして。
こんどは逆。
今まで歩けていたものが、衰えとともに、
転ぶ。
簡単に咀嚼、嚥下出来ていたのに、
むせる。
何度も失敗するようになる。
生まれる前の、お母さんのおなかの中で、
心臓はどくどく動いている。
こんどは、
この世の中で。
その心臓が止まる。
私は、あなたは、君は。
みんな手放して、
死んでいく。
だから、
赤ん坊の死や、
小さな子、
自殺。
そんな死を目の当たりした時は、
なんともやりきれない。
目の前の死体には
まだ、生きたかっただろう部分が、あまりに多いから。
脳みそ――意識や、l病巣部は、この世で生きていくのに耐えられなかったのかもしれないけれど。
潤った肌は、みずみずしくて。
これから大きくなるんだって、指は、手足は、まだまだ成熟していない。
白髪の生えていない、つやつやした黒髪。
老人も子どもも「死」は一緒、だとはとても思えないよ。
使い切って、もう使えなくなるまで頑張って、かぎりなく空っぽになった体と、
まだ成長途中の、はちきれんばかりの充実した体とじゃ、
残された肉体が、私には違って見えます。
いや、老人の自殺だってそう。
戦後の貧しい時代に赤ちゃん育てて。
食べ物がないと、お母さん、おっぱいが出ない。
赤ちゃんは、ひもじい思いをして。
布おむつだって、綿が高くて買えない。
なくなく、ほんとうに泣きながら、生きた赤ちゃんを
川に流す人だっていた。
そんな大変な思いをしてきたのに。
そんな身を切る思いより。
今の時代の方が、
戦争のない、モノであふれている
この時代の方が、
つらいんですか。
死ぬほど苦しかったんですか。
老人の自殺は、
そんな気持ちにさせられます。
◆
なんか、勢いで↑ブログ書いていたら、
思考がまあ、あっちこっち流れる流れる。
あ、でも、こんな感じのお話を、ちょっと書いてみたいのです。
目標は来年の春!
きっと娯楽ではないので、ツマンナイかもしれない。
でも、今の自分が一番書いてみたいことなので。