「私、神様ごとを辞めます」

という発表から一ヶ月以上経ちました。

これからやっていく形が少しずつ

出来つつあります。

またすぐに告知をさせていただきますね。

少しお待ちくださいね。


今日はピンと来たのでこんな話


私は6時間(1日ぶっ通しで)のマッサージを、
三島の整体師(敬心塾講師でもある)
仁科佐知子さんに、
ほぼ隔週でしてもらってるんだけど

昨日は息をするのも辛いくらいだったので
やむなく近くの整体に行った。

必ず初めて行く整体で驚きながら言われること
「首がものすごく歪んでいます」
「こんなに固まってる人は初めてです」
「ここまで重症だと痛いでしょう?」と

20年前に交通事故に遭った時
奇跡的に命は助かったのだけど
救急車で運ばれた先のドクターは
レントゲンを見ながらこう言いました。

「こんなに首が曲がってて
生きてる人は初めて見た」


その時からこれが
『私のふつう』になっている
普通の楽さを私はたぶん知らない

これで生きているだけでも奇跡なんだけど
動き回れてお志事させていただけることは
完全に神様の何かしらの力が働いている
としか言いようがないと思う

生まれつきの慢性の病気もあったり
5年前に難病指定されている病気にもなったり
大怪我したり

『私のふつう』が更新されていく(笑)

私は病気を治そうというところに

あまり意識は向きません(放置です)

なぜならば
治すことが目的ではなくて
そうなる体験に意味があると思うから

痛い思いや辛い気持ちになることにも
意味がある

その中で何を感じるか

そして考える
生まれてきた意味も
魂の目的も


気付くたんびに私は思います

病気は
魂のやりたかったことに気付かせる


怪我は
身体のやりたかったことに気付かせる



神様からの
「特急切符」

なんじゃないかな


そんな気がするのです



この世的には不幸と思われる
病気や怪我だけど、
人間的にはとても辛いけど、

神様から見たら
魂目線で見たら

真理に、
魂の目的に、

早く気付かせてあげる
『えこひいき』現象

なのかもしれません。


だから病気や怪我という体験も
ありがとう。
って面白がって
毎日体感すればいいと思う。

ここまで凝る❓
ここまで痛くなる❓
って
笑い飛ばし感心しています(笑)


そして
そのギリギリの思いの中で、
それでも前向きに生きたら、

新しいパラレルへ
移行することに繋がることも感じています。


それは目に見えない世界のことだけど・・・


この世的な話で言っても、

病気や怪我は
『身体を持って生きる』というテーマ
改めて気付かせていただける。



「老い」と「滅び」がある身体



生きれば生きるほどそれを痛感するはず



身体を意識することで、
私たちは
「感謝と共に生きる」

と決めてきたんだと思い出す



だから
病気や怪我は
とっても貴重な
気付きのイベント

なのかもしれないと思うのです。






✨幸(sachi)✨



宝石白純粋で綺麗な魂で・・・ラブラブ
宝石ブルー正直に生きて 魂活きるウインク