血漿交換したことあるひらめき電球


いや、当時は笑えないんだけどさ、

もう2度とお目にかかりたくもないんだけどね。


中3の後期のすべては、入院で終わった思い出。

2002年8月31日:入院。

しばらく記憶がない。(意識不明?

三途の川と思われるものを見た。

本当に、綺麗な川で、おばあちゃん(故)の声が聞こえて、

明るい一本の光の方に歩いていったら(今思うと、病室のドアから見えるナースステーションの光)

生きてた。


とりあえず、ナースステーションから一番近い個室というのは・・・

そのとき入院している、他のどの患者さんよりも重病人が入るガクリ笑。


それから、違う個室に移されたわけです。(こっから退院するまで、個室ライフ!笑。

しかも、1日2万5000円。

自分の部屋より、ぜーんぜん広い。

トイレ・シャワー・洗面所付。

TVは液晶TV。

晴れた日には、富士山が見えるという・・・(あ、横浜住民です。

そんな個室、、、、、小児科だったので2万5000円が無料でした。

内科だったら、莫大なお金がかかってた汗


で、腎臓悪くなってるんだけど

先生的には、腎生検を一刻も早くやって、治療法決めたいんだけど

私の体調が最高に悪かったらしい。

白血球はちょーひくい。

血小板もちょーやばい。

当時は、測定不能とかだもんね。


そんなんで、パルスやって~

何回やったか記憶ないけど、よくやってた。

それがいったいなんなのかも中3の私には、分かってなかった。

骨髄検査やって(いつだったっけ・・・腎生検より前だったかな。

確か、11月に腎生検やったんだよね。

すっごい嫌だったけど、小児科に同じように腎生検をやったネフローゼの5歳の男の子がいたんだよね。

すごい励まされたのを覚えてる。

だから、このときの腎生検は、がんばれたんだと思う。


腎生検やったら、思ってるより悪いって言われた気がする。

私の記憶では、私の腎臓は4段階中の4で、次は透析だ!

って言われて、泣くしかなかった。

それを聞かされたときは、声をあげて泣いて泣いて泣いて泣いて泣いて・・・

子供みたいに泣きつかれて寝た。


でも、最近、『4段階中の4なんだよね?』

って親に確認したら

『6段階中なら4で、4段階中なら3じゃなかったっけ?』

って言われた。


あれ?


でも、確かにクレアチニン?だっけ?

これは、そーんなに悪くないんだよね~

蛋白も潜血も出ないし。


ああ、また話がそれたわ。


で、腎生検やったら、

血漿交換とか血液浄化とか、そんな聞いたこともない単語をあげて治療法を説明された。

カテーテル入れて、私の血液をぜーんぶ機械に通して、一回綺麗にしまーす!

みたいな?

まあ、プチ透析。って言うのが早いのかしら。

透析室でやるんだもん・・・。

3日間連続を2回とかだったかな・・・

最初の3日間は大丈夫だったんだよ・・・

2回目の3日間は、途中で急に具合悪くなって死ぬかと思った。

毎回、開始前と終了の時点で体重量ってたらしいんだけど、(親曰くね、

毎回、終了のときの方が重い・・・という・・・よろしくない結果に。


ああ、思い出したくない。

人はいいように出来てて、嫌なことはどんどん忘れていくみたい。

とりあえず、私はそんな人間。


そして、そんな血漿交換は、死ぬほど悩んでやることを決めたのに

あっさりと2回で終わりました。

でも血漿交換をやることよりも、そのためにカテーテルを入れることが、死ぬほど怖くて、嫌で仕方なかったんだよねえ。

手術室とか怖いじゃん、怖いじゃん。

そんなカテーテルも、2週間程度で外され・・・(外されるときも、怖いっていうね。

ワーファリン飲んでたのも、この時期だったかなあ。


血漿交換のお次は、エンドキサンだったわけです。