いつも私のブログを見て下さったり、いいねして下さる方々にご報告です。



単刀直入に言うと、
5月8日16時30分 お母さんが亡くなりました。



経緯を辿ると、前回のブログを更新したのが5月7日の夜。



その後から段々と体中が痛くて辛そうに唸ったりしていて、私が気を紛らわそうとして「ほら、お母さんの好きなドラマやってるよ!」と言っても「いい。」と言った時点でこれは何となくいつもと違うなと感じ、私は一晩中お母さんに付き添うことにしました。



お母さんは自分が辛いのに、「あー」とか「うー」とか唸るたびに私が「どうした?大丈夫?」と声をかけるので「あっ、声出してうるさくてごめん。」と言ったので「何も大丈夫だよ!」と。
それが今思えば最後の会話らしい会話だった。



その後から夜中ずっとお母さんは体中が痛くて痛くて仕方なく身の置き所もなかったから、横になっては起きて横になっては起きてをひたすらくり返した。
私は起きる時や横に寝せる時は補助し、ひたすら体を少しでも痛みが和らぐようにと、私がこの痛みを代わってあげたいと願いながら撫で続けた。



1回、私がお母さんが横になりたいのか起きたいのか分からず様子を伺っていたら片手を上げて「いのっち」と私の名前を呼んだ。これが本当に本当に最後に発した言葉だった。



朝4時過ぎまで私は一睡する事なくお母さんを撫で続けた。しかし、私も仕事あるため少しでも寝るべくお父さんを起こして呼んだ。



体を撫でるのをお父さんに代わり私が少し寝ようとしたものの中々寝られず、むしろお母さんの様子がおかしくなっていったから急遽仕事を休んでお母さんのそばにいることにした。



訪問看護の人を呼んで診てもらったら、昨日と今日では様子が違うと。先生にも急遽診てもらうことになり、モルヒネの点滴が来るまで私は泣きながらお母さんの背中を撫で続けた。
この時点でお母さんの顔つきも違ったし一言も発する事なく唸るだけだった。



モルヒネの点滴はしたものの時間が経つにつれて呼吸は浅くなるし、目の動きも普通じゃなく私は怖くて怖くて仕方なかった。
お母さんの冷たい手をずっと握って温めた。



弟も横浜からこっちに朝から向かっているが時間がかかっていて間に合うかどうかな所まできてしまっていた。



そして16時頃、お母さんの息する声が一瞬止まった。私とお父さんと叔母2の3人はお母さんに必死に声かけて、弟が来るまでまだ逝くなと頑張れと声をかけ続けた。



しかし、お母さんはいきなり口から静かに吐血し始め、ずっと見開いたままだった瞼も閉じてしまった瞬間に私は「はっ…」と思いながらも声をかけ続けたが訪問看護の人が心臓の音を確認し心臓が止まっていると。



弟に苦しんでる姿を見せたくなかったのか、弟を待つことなく早々と逝ってしまった。
私は「お疲れさま。今までありがとうね。」と頬を撫でながら声をかけた。



そこからがお母さんのすごさと偉大さに気付かされていきます。



次へ続く→