七夕今年の七夕(7月7日)は日曜日

7月7日は、星に願いを込めるロマンティックなイベント、七夕ですね! 

 

織姫と彦星が年に一度だけ会える夜というストーリーは誰もが知るところですが、七夕の起源や歴史について詳しく知っている方は意外と少ないのではないでしょうか?

 

特に七夕をなぜ “たなばた” と読むのか?

今回は、七夕の知られざる一面に迫りたいと思います

 

中国七夕の起源は中国にあり!

七夕の発祥は、今から約1800年前の中国後漢時代まで遡ります

当時の書物「古詩十九首(こしじゅうきゅうしゅ)」に記されていたものが起源とされ、夜空に輝く星の神秘に由来しています

 

ハート織姫と彦星の物語

こと座のベガとわし座のアルタイルが7月7日の夜にひときわ明るく輝くことから、中国で織姫と彦星の伝説が生まれました

天帝の娘(孫娘とも)である織姫は、機織りが上手で働き者の女性。天帝は同じく働き者で牛飼いの牽牛と引き合わせました。二人はひと目で恋に落ち、結婚しました

ところが結婚すると遊んでばかりで、働かなくなるという結果に怒った天帝は、二人を天の川の両岸に引き離しましたが、織姫が泣いて悲しんだため、年に1度、7月7日の七夕の夜にだけ会うことを許すようにしたというお話

 

星空実際の星の動き

ちなみに、こと座のベガは裁縫の仕司る司る織女星(しょくじょせい)、わし座のアルタイルは農業(養蚕)の仕事を司る牽牛星(けんぎゅうせい)と呼ばれ、どちらも1等星で明るい星です

日本では7月上旬から見えやすくなり、9月上旬ぐらいまでよく観察でき、七夕の頃だと、20~22時ごろ、東の空の下の方に見え始めます

はくちょう座のデネブを加えて、「夏の大三角」とも呼ばれています

 

新暦の現在は、7月7日は日本の多くが梅雨の最中ですが、かつては旧暦の7月7日だったので、現在でいうところの8月上旬~下旬頃で、昔は晴天率の高い行事だったようです

また、月の動きに基づく旧暦では、7日は必ず半月。その月も22~23時頃には西に沈むため(※地方により多少時間がズレがありますが)、夜半には天の川がよく見える日だったようです

 

ですから、そんな旧暦の七夕を、国立天文台は「伝統的七夕」と呼んで、毎年公表しています

ちなみに、2024年の「伝統的七夕」は、8月10日(土)です

 

星織女の星に裁縫の上達を祈る「乞巧奠(きっこうでん)」

こと座のベガは、裁縫を司る星とされていました。 中国では、これにちなんで裁縫の上達を祈る「乞巧奠(きっこうでん)」という行事が行われていました

庭先に、五色の糸を通した針7本と、酒肴や果物等の捧げ物をし、織女の星に祈りを捧げます

 元々は裁縫や機織りの上達を願うものでしたが、時代とともに芸事や書道など、その幅は広がっていきました

 

日本日本への伝来

七夕が日本に伝わったのは755年、第48代孝謙天皇が在位した奈良時代と言われています

当時、遣唐使によって中国の文化が盛んに日本に持ち込まれており、七夕もその流れに乗って伝来しました。当初は宮中行事として、皇族や貴族のみが行っていました

 

行事も、中国の乞巧奠のならわしにそって、果物や野菜、魚をお供えし、音楽を奏で、詩を読むといったことが行われていました

 

そういった一連のならわしの中に現代のスタイルである短冊に願い事を書くという風習につながったとのこと

 

ただし、この頃は短冊ではなく梶の葉に和歌をしたため、願い事をしたそうです

これは梶の木は古くから神聖な木とされている他、葉の裏には細かい毛が生えており、墨が染み込みやすかったためとされています

また墨は芋の葉に溜まった夜露を混ぜて使われていました

この夜露が当時は「天の川の雫」と言われていたそうです

※中国の人が星の輝きから織姫と彦星の伝説を考えついたように、日本の人も自然に不思議な力を感じていたようです

 

そして、江戸時代になると庶民の間にも広がっていきます

七夕は「五節句」の一つとされ、幕府公式の祝日でした

寺子屋などでは紙の短冊に願い事を書き、読み書きの上達を願ったようです

 

浮世絵師の鳥居清長が1795年ごろ描いた浮世絵には、いろんな形の短冊が描かれています

 

江戸時代は経済の発展が目まぐるしく、商売繁盛が時代を生き抜いていくためのカギを握っていました

 

七夕がこの時代に広まったのは、習い事の上達が商売に直結する要素だったからです

このころからその習わしも、笹の葉に短冊をつるすという現代の形に変わっていきました

 

 

七夕笹の葉に願い事を書く日本独自のスタイル

現在の日本で一般的な、笹の葉に短冊を飾るスタイルは、江戸時代に定着しました

笹は生命力が強く、不思議な力を持っていると信じられていました

 また、短冊は、中国の五行説に基づき、青(緑)・赤・黄・白・黒(紫)の五色を用います

 

青(緑)は木(植物)

赤は火(炎)

黄は土(大地)

白は金(鉱物)

黒(紫)は水

※のちに、青は緑も含むようになり、黒は縁起が悪いとして高貴な色である紫が用いられるようになっています

 

義理チョコ短冊以外の七夕飾りとは?

色とりどりの短冊や、いろんな形の飾りを笹竹に吊す七夕飾り。昔は高ければ高いほど星に願いが届くと考えられ、屋根の上まで高くかかげていたようです

 

折り紙で作る七夕飾りにはいくつかの種類があり、「七つ飾り」と呼ばれます

それぞれに下記のような意味が込められています

 

◆吹き流し・・・機織りや、お裁縫の上達を願う飾りです

かつての宮中儀式で、五色の糸を長い針に通してお供えしていたものを、紙で表現したものだそうです

◆くずかご・・・ 清潔、倹約を意味しています

七夕飾りを作るときに出た紙くずを入れて飾ることもあるそうです

◆網飾り ・・・漁業の網から生まれた飾りで、大漁を祈願しています

◆折鶴 ・・・家内安全や、長寿を願う飾りで、千羽鶴にする場合もあります

◆巾着(きんちゃく) ・・・金運の上昇や、貯蓄を願って飾ります。財布の場合もあるそうです

◆紙衣(かみこ) ・・・折り紙で作った人形や着物の形を指します

裁縫の上達を願うほか、病気や災いの身代わりになってもらうという意味もあります

◆短冊 ・・・「五色の短冊」に願い事を書いて飾ります


 

スイカ七夕に食べる料理

◆索餅(さくべい)

小麦粉や餅粉をひねって揚げたお菓子で、唐の時代に日本に伝わりました

今でも奈良県では「麦縄」と呼ばれ、親しまれています

 

◆そうめん

索餅が、だんだんと進化していったものがそうめんと言われています

例えば、宮城県仙台市では今も400年の伝統を持つ「仙台七夕祭り」が行われていて、そうめんが定番の食べ物です

そうめんには色つきのものもあるので、五色の短冊にちなんで「五色そうめん」もあるそうです

 

 

◆かりんとう

索餅にもっとも近いお菓子が、かりんとうと言われてます

かりんとうは唐菓子(とうがし・からくだもの)が原型、またはスペインの南蛮菓子がルーツともいわれています

東北地方のかりんとうはバラエティ豊富で、秋田県には短冊形や落ち葉の形のかりんとう、岩手県には渦巻き形のかりんとうがあり、どれも個性のあるおいしさだそうです

 

 

??「七夕」の読み方が「たなばた」なのはなぜ?

七夕を「たなばた」と読むことを不思議だと思ったことはないでしょうか?

これは、日本で古くから行われていた「棚機(たなばた)」という習わしが由来といわれております

 

 棚機は、神様に秋の豊作と人々の穢れを洗い流すことを祈願するため、乙女が着物を織って棚に備えるというものです

 

遣唐使の時代、仏教が盛んになると、お盆の準備として7月7日の夜に行われるようになり、

七月七日の夜という日付と時刻をそのまま漢字で、「七夕」と表し、読み方は棚機の「たなばた」が受け継がれ、棚機は乙女が着物を織る行事だったため、中国の七夕(乞巧奠)伝説の裁縫を司る星に祈るという要素がそこに共鳴し、これらが一つの行事となっていったとされるそうです※諸説あります

 

日本の棚機と中国の七夕の時期が重なっていたというのも偶然にしてはよく出来た話ですが、中国から伝来し、日本の文化と融合して独自の進化を遂げた「七夕」

星に願いを込めるロマンティックな行事であると同時に、裁縫や芸事の上達を願うという側面も持ち合わせています

 

今年の七夕は、その起源や歴史に思いを馳せながら、夜空を見上げてみてはいかがでしょうか?

 

 

カバー画像:いらすとや さんより(ありがとうございます!)