ひな祭りもおわりましたね~!

 

お嬢様をお持ちのご家庭の皆さんは

もう、ひな飾りのお片づけは済まされましたか?

 

そういう、うちもまだなんですよね~(笑)

早く片付けないと、娘たちが行き遅れますよね~(困)

 

何故、ひな人形を早く片付けないと婚期が遅れるのか?

結論からいうと、迷信ですが(笑)、諸説あるそうで

 

1.厄払い説

そもそも、ひな祭りは

 

①中国から持ち込まれた暦法で定められた※1(五)節句の一つ「上巳(じょうし)」、旧暦の3月3日に、川で身を清め、不浄な物事を祓う行事からきており、それが平安時代の日本に渡り、自分に降りかかる災厄を、紙や藁でできた人形(ひとかた)を身代わりとして川や※2曲水の宴等で流す慣習、別名「※3流し雛

②同じく平安時代、上流階級の女子が行う遊びで、紙等で作った人形や家財道具のおもちゃで遊ぶ、「※4ひいな遊び」(今でいうおままごとですね)

 

が融合されたものと考えられており、ひな人形にその子の災厄を移すという考えから、その人形をいつまでも身近におかず、早く片付けて災厄を遠ざけたほうが良いという考えからきている

 

2.しつけ説

一番有力な説。皆さんもご同感いただけるかと思いますが、ひな人形を出すのに手間暇がかかったのに、飾る期間は一瞬。ひな祭りが終わり、また片付けるとなると面倒だという思い・・・。 しかし、子供への情操教育上、あと片付けも満足にできないようでは、将来きちんとした大人(女性)、ひいては、良いお嫁さんにはなれないという考えからくるもの

 

3.語呂合わせ説

早くひな人形を飾る = 早く嫁に出す

早くひな人形をしまう = 早く嫁に行く(片付く) という語呂合わせからくるもの

 

参考URL:Wikipediaより(ありがとうございます!)

※1(五)節句

※2曲水の宴

※3流し雛

参考URL: 「雛遊びの世界」日本玩具博物館より(ありがとうございます!)

※4ひいな遊び

                                                                                   

ひな飾りのお片づけのタイミングは?

特にないとのことですが、下記の時期に片付けると良いといわれているそうな

1.旧暦の3月3日までに片付ける

基本現在の暦である新暦のひな祭り(3月3日)が終われば、すぐ片付ける地方が多いのですが、旧暦の3月3日まで飾る地域もあるそうな

 

ちなみに、今年の旧暦の3月3日は、4月22日(土)の大安です!

※良かった!まだ大丈夫!!(笑)

 

2.ひな祭り後の啓蟄の日に片付ける

※5 “二十四節気” の一つ、“啓蟄(けいちつ)” の期間に片付けるのが良いといわれており、その理由として、前述した“(五)節句” と共に中国から持ち込まれた “季節の節目” に関する慣習であり、数ある “二十四節気” の中で、 “啓蟄” に片付けるのがベストとされるそうな

 

ちなみに、今年の “啓蟄”は、3月6日(月)~20日(月)です!

  

3.一番科学的で、かつ、理にかなっているのが、天気!

よく晴れた、湿気の少ない日に片付けると良い。ひな人形に使用されている生地は湿気に弱く、天候の悪い、湿度が高い日に片付けると人形に湿気が残り、カビやシミの元になるそうな

  

参考URL:Wikipediaより

※5二十四節気

 

 

さて、前回のつづきですが・・・

 

ひな飾りの中心人物である 『お内裏様』 と 『お雛様』 にも

“かみしも(上座下座)” があることをご存じですか?

 

古来の日本の礼法のしきたりで、“左上右下(さじょううげ)” という言葉があり

その中で一番偉い人、格の高い人、年配の人等が、一番左に座り(左上座)

その右以降は、次に偉い人、格の低い人、若い人等が座る(右下座)という意味で

元々は中国から伝わったしきたりで、日本の飛鳥時代(中国は唐の時代)から明治時代に欧米のしきたりが入るまで、中心だった考え方でした

 

ですから、京都に都があった時代帝(今の天皇陛下)は、妃(今の皇后陛下)の左側、つまり、我々から向かって右側に座っていました※今回のカバー画像は欧米のしきたりで並びが逆です!

 

それが明治時代になって、欧米のマナー(※6プロトコル)が日本へ入り、皇室のしきたりが変化したそうです

 

ですから、大正天皇が皇后陛下の右に立って写真を撮影して以来、現在に至るまで天皇陛下の位置は皇后陛下の右側(我々からみて左側)が決まりとなったそうな

 

そして、昭和3(1928)年、昭和天皇が皇后陛下の右にお立ちになった御大典(即位の式)の写真が全国的に広まった頃より、首都東京を中心に、ひな人形のお内裏様も我々からみて左側に、お雛様を右側に飾るようになったそうです

 

その際、二段目以降の人形の位置は変わらなかったために、お内裏様は右上位(我々からみて左側)ながら、代表的な随身で序列一位の左大臣は、左上位(我々からみて右側)のままと、新旧二つのしきたりが介在することになったそうな※ややこしい・・・

 

参考URL:Wikipediaより

※6プロトコル

  

 


 

 

しかし、京都のように古い慣習を大事にする土地では

現在でも昔の「左上右下(左上座右下座)」でお内裏様、お雛様が飾られているそうな

 

 「京(風)雛」 とそれ以外の 「関東(風)雛」 の違い

◆一段目、『お内裏様』と『お雛様』について

1.『お内裏様』と『お雛様』の位置

【京雛】

古来日本の「左上右下」のしきたりのもと、『お内裏様』が左上位(我々からみて右側)

『お雛様』が右下位(我々からみて左側)

 

【関東雛】

『お内裏様』が我々からみて左側(右上位!?)で『お雛様』は右側(左上位!?)

そう、現在のプロトコル(国際儀礼)と同じならびなんです!

 

実は、現在の※7ひな人形は、江戸時代初期に武家の子女等、身分の高い女性の嫁入り道具の家財の一つ、前述した “ひいな遊び” 用として作られたらしく、元々は京ではなく、江戸がルーツだといわれているそうな(へぇ~)

 

※7ひな人形 参考URL:Wikipedia 雛祭り より

 

では、何故「関東雛」の『お内裏様』が左側で、『お雛様』が右側なのかというと

 

徳川第二代将軍であり、最終官職として太政大臣にもついた、徳川秀忠(とくがわひでただ)の娘、東福門院和子(とうふくもんいんかずこ)が当時天皇だった第108代後水尾(ごみずのお)天皇に嫁ぎ、皇后となり、その間にできた娘(内親王)が、のちの第109代※8明正(めいしょう)天皇となったために、『お雛様』が女帝のため、左上位(我々からみて右側)、『お内裏様』が右下位(我々からみて左側)になったといわれているそうな※実際は「女帝は即位後、独身を通さなくていけない」という不文律があり、生涯独身で、74歳で崩御されたとのこと(哀)

 

※8明正天皇 参考URL:Wikipediaより

 

2.『お内裏様』と『お雛様』の顔

【京雛】

特徴は、細面で鼻筋が通っており、目は切れ長な、高貴な顔

 

【関東雛】

特徴は、少しふっくらとした顔立ち目が大きめ口元は少し笑っている現代的な顔だそうな

 

◆二段目、『三人官女』について

【京雛】

中央の官女が持っているのは、「※9島台(しまだい)

 

参考URL:コトバンクより(ありがとうございます!)

※9島台

 

【関東雛】

中央の官女が持っているのは、“三方(さんぽう)”で、盃を乗せる台のこと

現在のひな飾り(ひな人形)では、「関東雛」 の “三方(さんぽう)” がポピュラーです

 

◆三段目、『五人囃子』について

基本、「京雛」  「関東雛」 とも

能楽の地謡(詞章を合唱する演者)囃子方(能の音楽を担当する奏者)ですが

たまに、※10雅楽の楽土を並べるものもあるそうです

 

※10(五人囃子)雅楽の楽土 参考URL:文化遺産オンラインより(ありがとうございます!)

 

◆五段目、『仕丁(しちょう・じちょう)』について

挿絵(画像):「実鈴」さん作(ありがとうございます)

 

仕丁(しちょう・じちょう)』とは、平安時代以降身分の高い家のもとで、雑務に従事したもののことで、地方から出てきて無報酬で働いていた、ひな人形の中で唯一の庶民です

 

そういった境遇でもあるため、「怒り」「泣き」「笑い」という三つの表情で作られていることが多く、「三人上戸(さんにんじょうご)」とも呼ばれるそうで、「京雛」 「関東雛」 では、持ち物が違います

 

【関東雛】※上記挿絵画像参照願います

・我々から向かって左側の仕丁

血色の良い、うすだいだい色の肌をした「怒り」中年男性で、“台傘(日傘)” をもっている

 

・中央の仕丁

血色の悪い(?)、色白の肌をした「泣き」の青年男性で、“沓台(沓を置くための台)”をもっている

 

・我々から向かって右側の仕丁

血色の良い、うすだいだい色の肌をした「笑い」の老人男性で、“立傘(雨傘)” をもっている

 

【京雛】

・我々から向かって左側の仕丁

基本、血色の良い、うすだいだい色の肌をした「怒り」の中年男性で、“熊手” をもっている

 

・中央の仕丁

基本、血色の悪い(?)、色白の肌をした「泣き」の青年男性で、“ちりとり” をもっている

 

・我々から向かって右側の仕丁

基本、血色の良い、うすだいだい色の肌をした「笑い」の老人男性で、“竹箒” をもっている

 

これは余談ですが、前編に

ひな人形の中で、お顔(肌)の色で血行の良い方々は、『左大臣(老人)』と一部の『仕丁(しちょう・じちょう)』だけとお話しましたが、どうやら、中高年(老人)層の人形だけ、肌の色が濃い傾向にありますね※是非、ご自宅のひな人形でも確認してみてください!

 

 現在にもいきづく “かみしも(上手下手)” の慣習

前編に、今回の話題に関する内容を私が専門学校で教鞭をとっていた時に授業をしたと申し上げましたが将来ホテル・ブライダル業界の就職を目指す(ほとんどが女子)学生に対し

 

日本古来の “かみしも” ならびに、欧米における“かみしも(プロトコル)” が混在するこのややこしい日本で(笑)、少しでも理解を深めてもらうために授業をしたという経緯がありまして、最後にその時に話した内容を少しばかり・・・

 

◆舞台ならびに落語のおける “かみしも(上手下手)”

基本、舞台は、我々からみて、右側が上手、左側が下手ですが、

これは、舞台からみて(舞台を中心にして)、「左が上手」 「右が下手」が原則だからなんです

 

挿絵(画像):「いらすとや」さん作(ありがとうございます)

 

その影響は、落語の “かみしも(上手下手)” にもいきづいています

一人で話す「落語」において、どちらを向いて話をしているかで、その人物の身分や年齢がわかります

 

日本の演劇では

「上手(我々からみて右側)」に「身分の高い人」や「年上の人」が座る設定になっていることから

 

落語においても

「上手」を向いて話している人は、「身分の高い人」 「年上の人」

 

「下手」を向いて話をしている人は、「身分の低い人」や「年下の人」となるわけです

※ひな人形の左大臣右大臣と同じ考えです

 

◆結婚式における “かみしも(上手下手)”

日本における代表的な結婚式のスタイルは 「神前式」 「キリスト教式」でして、

新郎・新婦の立つ位置は同じ、新郎の左側に新婦(=新婦の右側に新郎)です

我々からみて、左に「新郎」 右に「新婦」となります

 

が、その理由がそれぞれ違うのです

 

神社「神前式」の場合

式場内の神様がいるご神殿からみて

 

左が上手」 よって 「新郎

右が下手」 よって 「新婦

 

日本古来の「左上右下(左上位右下位)」の原則で

我々からみても「左に新郎」 「右に新婦」なのですが、

“かみしも” 上、神様からみて “上手下手” となるんです(難)

 

ウエディングドレス「キリスト教式」の場合

欧米の “かみしも(プロトコル)” にのっとって 

 

並んだ時に右側に来る方を上位とする」

「右上左下(右上位左下位)」が原則なので

 

「新郎」 「新婦」 本人からみて

 

右が上手」 よって 「新郎

左が下手」 よって 「新婦

 

我々からみると、「左に新郎」 「右に新婦」となるわけです

 

 

いかがだったでしょう?

まだまだ “かみしも(上手下手)” に関するお話は

つきませんが、今回はここまでに・・・m(__)m

 

それよりも、早く

ひな人形を片付けないと!(焦)

 

カバー画像:「実鈴」さん作(ありがとうございます!)