妻が病院へ行かなくなったのは、退院からおよそ6ヶ月が経過した5月頃。でも、前にも書込した通り、私の中ではこうなることは最初から想定の範囲内でした。当時は、薬を飲まなくなった場合にどういう状況がやってくるのか、正直予想がつかなかったので、また家の中の物を放り投げる等大変な状況がやってくるのでは、長女が再び標的にあうのではと、不安がつきない毎日だったと思います。

 

でも、とりあえず物を放り投げたりする事はみられなくなり、長女にあたったりするような事もほぼなくなり、それだけで考えれば問題が無くなったようにも感じました。

 

ただ、全く面識の無い人に手紙を出してみたり、何の目的かわからない人へ数万円を振り込んだりと、奇妙な行動がある事を感じた事があり、タイミングを見て妻の実家へ向かい義父にこれらの相談に伺った事がありました。私の両親は10年以上前に他界しており、妻の母親も他界しているので、当時の私にとって妻の事を一番理解していて、私から見ても一番身近な親族は義父しかいませんでした。でも、困り果てて相談に行き、これらの話を思い切って義父に切り出した時、義父は「もーいい。もう俺は関係無いから、自分の思う通りにやってくれ。どういうふうでもいいから、もう何でもいいから、俺の事はもういいから・・・」と・・・。

 

当時の言い方を、文章で100%表現する事は難しいですが、私から見てこの時の義父の言い方は、投げやりな言い方で、現状から逃げているようにしか見えませんでした。昔から切れる事があるような事は聞いていましたが、まさか自分の娘の事についても逃げる事が出来るとは・・・。私には到底納得が出来る言葉とは言えませんでした。

私もそうやって現実逃避が出来るのであれば、今すぐにでもどこか遠い所へ行きたい気分です。会社にお願いして、どこか遠い所へ単身生活でいいので飛ばしてもらいたい気持ちです。でも今はどうしてもそれが出来ない・・・。

 

そんな事があって以降、義父には妻の事を話したり、相談したりするのをやめました。時間の無駄だと感じたからです。

 

また、この出来事以降も引き続き帰りたくない家に毎日帰りますが、妻の私への態度は相変わらず。仕事から帰ってくると、シンクには大量にたまった洗い物を残して、2Fへ行ってしまい、自宅内で合えば憮然とした態度で無視。日に日に夫婦間の間にはなんとも言えない空気感が出来上がっていき、妻が退院してから正味1年が経とうとした年末を迎えることとなりました。

この時の私には、毎日毎日このような異様な関係を続けていく中で、ある思いを抱くようになりました。

 

「年末年始に一度自宅を出てみよう。それも大晦日に。私がこの家にいない状況を迎えれば一時的に何かが変わるのでは・・・」

 

子供達の学校が無いこの期間であれば、私がいなくても子供達には迷惑がかからないので、正月のすき焼きが出来るような材料を事前に買い込み、大晦日の夕方、長文のLINEを妻に送って、始めての家出を強行しました。また、そのLINEでは、私から妻へその時の思いを伝えました。

 

1日中携帯の着信を気にしないで、元旦に肉体労働のアルバイトをして、夕方携帯を見ると、妻から何度も着信履歴が残っていて、その後の最初の着信で電話に出ると、「一人で子供を育てる事が出来ない。戻ってきてほしい」と・・・。

 

正直戻りたくはありませんでした。でも、この時妻が発した言葉は、私からしてみたらやはりというか、様子を見て確かにそうだろうと・・・。このまま妻に子供を任せても、子供を育てる事が無理だというのは確かな事。このタイミングで別居や離婚が出来ないので、子供のためにやむなく家に戻る事にしました。

 

自宅に帰ると妻は、表面上私と普通に接しようと話かけてきたりしていましたが、私の目には、また同じような事が今後も繰り返されるんだろうなーという事が想像出来て、言葉に言い表せないなんともいえない気持ちだった事を思い出します。

 

また、この時期より少し前に副業を始めていましたが、私が家にいる事で妻のいらいらに拍車をかけているのではと、さらに思うようになり、以降、副業が可能な派遣会社に手当たり次第登録し始めたのもこの時期だったかと思います。

 

続きは次の機会にアップデートしたいと思います。テーマは「私の副業コレクション」

次回は、この3年間で行った副業の数々をご紹介します。