マスメディアの論調と日本人の気分


ベムさんのブログで珍しく、広告業界以外の時事ねたが。


マスメディアの否定一本路線な論調は、何も生み出さない、国民の憂さ晴らしにだけ、繋がっているのでは、という話。


もっともだ。たしかに、やめろやめろ、といわれつづけ、そして実際にやめたら、今度は無責任だといわれる。確かにそしたら、どうしたらいいの、という話になる。


ただし、ひとつあるとすれば、辞める際に、または辞める間際にやれること、声明する、こと、コトバで国民に、この8ヶ月を振り返ること、もっともっと、本音を語る場面があってもよかったのでは、というところはある。国民のための政治、というが、スローガン倒れ、だったといわれてもしょうがないのでは、とさえ、思う。


政治とかね、沖縄、子供手当て、財源確保、事業仕分け、消費税増税論議、いろいろな国の重要施策を、鳩山氏は、国民への丁重な説明をさぼり、ごまかししつづけてきた、という事実もあるのでは、ないか、とも思う。首相というポストによっていただけ、といわれてもしょうがないくらい、あらゆるところで、「いい顔」だけ、し続けてきた。


安易な「民主党否定」マスコミ論調を批判することは大事だとおもうけれど、一方で、首相にはだれがなってもいっしょ!というきわめて安直なペシミズムだけには、絶対流されてはいけない、と思う。


首相になったら、マスコミから否定されるから鳩山氏はかわいそうだったなんて論調も絶対ゆるされてはならない。ベムさんも触れているとおり、日本を再びひっぱりあげるリーダーは絶対いるはずなのだから。言ってしまうと、国のリーダーに相応しい人が、なかなかいない、という事実、カリスマ性、シンボル性がある人がいない、という事実は、国力の減退まで、表現してしまうのか。。。


中曽根時代、なんか、よく子供のころだからわからないけど、ぐんぐん国が大きくなっていく、そんな時代だったんだろうか。国、というか、社会というか、生活が、広がっていく、というか。。。