自我と、ゆうのを、仮想現実的に、ゆうなら、人格プログラムだろうな、と、考えてみる。


高度なデジタル技術が、ある文明なら、感覚や、感情なんかも、デジタル技術で再現出来ても、不思議ではない。

 

そうした、人類よりも、高度なデジタル技術を、持つ存在=感覚、感情のある 知的生命 が、人体と、ゆう、デバイスに、自我と、ゆう、人格プログラムを、インストールして、人間と、ゆうものを、創り出した?


生まれ変わりとは、その、デバイスの、使用限界が、来た時に、自我とゆう人格プログラムの、記憶部分だけを、消去して、別のデバイスに、インストールし直す、と、ゆう事?


なのかもしれない。


では、その目的は?


結局のところ、いろんな環境で、その人格プログラムが、幸せ な、状態で、居られるか? と、ゆうのを、テストしている、みたいな。


・・・個々の人格プログラムには、癖性分が、あり、どんな環境でも、争わずにはいられない、人格プログラムとか、も、あったりして、最後に、その人格プログラムを、残すか?それとも、消去するのかを、決定する?


・・・どんな環境でも、まわりを、幸せに、するような、人格プログラムは、残す、などと、ゆう事もあるのか?


・・・あるいは、人類以外には、他の知的生命は、いない、などと、結論付ける、人格プログラムもあるかもしれない。


・・・空(くう) と、ゆう概念=全てが、仮想現実 が、把握出来て、脳が、デジタル脳化すると、そんな風に、自分が、観えてくる。