感覚や、感情を、伴う、仮想現実は、愛 である、と、考えてみる。


愛 ゆえに、苦しむ、と、ゆう事も、あるけれど、あるいは、愛 ゆえに 病み、愛 ゆえに 癒やされる と、ゆう事も、ある。


たとえば、感覚を、伴わない、仮想現実には、触感、味覚、嗅覚、視覚、聴覚 も、ない。


だから、苦しみも、ない、病もない、癒やしもない。


意識も、無意識もない=認識と、ゆうものがそもそもない。


それが、無色界=感覚、感情のない、仮想現実=空(くう)


あるのは、仮想現実を、創る、プログラムだけ=理(ことわり)だけ=因縁だけ?


そこに、愛 が、加わる?繋がる? と、感覚、感情が、生じて、色界(しきかい)=感覚、感情の伴う仮想現実 と、なる。


波動で、ゆうと、波動にもならないような波動=精妙な波動=理(ことわり) が、あり、そこに、愛 ゆえに、微細な波動が重なり、色界(しきかい)=無意識領域の認識 が、生じて、そこに、荒い波動=物質の波動 が、重なり、意識領域の認識 が、生じる=意識領域の認識は、自我意識 とかゆうもの。


自我意識は、無意識領域=色界(しきかい)の、設定によって、いろいろ、制限されている?


無意識領域の設定とは、意識領域を、維持する為の安全装置?みたいな。


たとえば、良心の呵責 なんかも、安全装置=意識領域に、感覚と、して、伝えてくる=無意識領域から来ている?=無意識領域の設定?


・・・病気に、なる、なんかも、この、無意識領域からの、安全装置 に、気付かないか、気付いても、無視する事で、病気になる?


・・・もしかしたら、その安全装置の、設定を、し直す事=無意識領域に意識的に入って設定をし直す 事で、癒やしも、起こるのかも。


・・・設定をし直す=幸せとは何か? と、ゆうのを、問い直す、愛とゆうものの、定義=設定 は、正しいものなのか? と、ゆう事を、考えてみる、とか。