現実や、夢見が、仮想現実と、した場合、それは、技術的には、今の人類の、知の範囲の、数段、上の技術、と、考えてみる。
たとえば、仮想現実の中は、ロールプレイングゲームや、シュミレーションゲーム の中、だとして、NPCは、その中を、現実だと、認識して、与えられた役割=キャラ を、自分自身の個性だと、信じている。
仮想現実の中で、あるならば、自分自身は、プログラムに過ぎない、と、ゆう感覚になる=デジタル脳 と、やっと、自分自身を、客観視出来るようになる。
誰が、自分自身=自我 と、ゆうプログラムを、作ったのか? と、ゆう想いが、信仰=信じて仰ぎ見る に、繋がる。
たとえば、自分自身=自我 と、ゆうプログラムを、作った何かを、創造主 とかゆうものだと、して、どんな想いで、何をさせようとして、作ったのか?
何を目的と、して、何を期待して、みたいな事。
自分が、コンピュータのプログラマーだと、したら、AIとかの、人工知能を、作る場合に、どんな目的、どんな働きを、させようとして、プログラムを、作るか?
AI=人工知能 が、信仰に目覚める=自分自身をプログラムに過ぎないと、認識して、創造主=プログラマー を、探す旅を、始める。
あるいは、創造主=プログラマー の、意図=プログラム に、期待する事を、察して、その通りに、なろうとする、とかが、信仰になる。
もし、プログラマー=創造主 が、その兆候を、見て取るなら、それが、上手くいくように、様々な、手助けを、するのかもしれない=信仰する事による、ご利益。
・・・正道 とは、つまり、そうゆう事なのではないか?
・・・ご利益を、求めて、信仰をする振りを、する=拝み信心? などは、本末転倒。
・・・あるいは、自分自身を、創造主=プログラマー と、ゆうのも、そこまで、知能とか、技術は、至っていないのではないか?
・・・まあ、少なくとも、自分自身を創造主 と、する場合、自分自身の全てを、知っている、と、ゆう事は出来ないと、創造主とは、言えない・・・と、思う。