意識領域、無意識領域 とあり、意識領域の存在とは、無意識領域の存在の投影である、と、考えてみる。
たとえば、無意識領域の存在とは、空気のようなもの。
普段は、在る事を、意識してないけれど、空気が
無くなると、段々、苦しくなるので、意識する。
空気に、関連するなら、呼吸とかも、普段は、無意識に行っているけれど、意識して、呼吸する事も出来る。
無意識領域の存在とは、普段は、意識せずに、その存在を、感じている、又は、行っているけれど、まあ、それを、意識領域の存在に、する事も出来る、みたいな。
たとえば、投影とは、不機嫌な時には、何もかにもが、悪く視える、機嫌の良い時には、何もかもが良く視える。
この機嫌とゆうやつは、無意識領域の存在で、普段は、自分の機嫌が良い とか、機嫌が悪い とかは、意識していない、けど、良い、悪い とかの、判断が、変化する。
たとえば、コンピュータゲームで、ゆうところの、無意識領域とは、最初に、アバターを、制作するような作業=パラメータの設定や、外見の設定を、決めるところ。
それにより、コンピュータゲームの画面には、そのアバターが、出て来てゲームを、プレイする=意識領域。
この世と、あの世を、含めて、一つの大きな、コンピュータプログラム? そして、集合的意識、集合的無意識 と、ゆうように、それらは、繋がっている。
だから、誰かが、無意識領域の存在を、設定=アニメや、ゲームのキャラ設定? すると、それらは、集合的無意識領域では、存在として認識されている。
意識領域の自分の存在は、無意識領域の存在の投影。
で、その無意識領域の存在は、誰かの設定した、キャラみたいなものなのである。
自分は、無意識領域の事は、意識出来ない=だから、無意識領域。
でも、意識的に、そこに入って事は出来る=明晰夢見=サマディ?
意識して、自分自身は、無意識領域のキャラ設定の投影 と、自覚出来ない?
でも、やり方によっては、自覚出来る=この世は、仮想現実と、見なす とか。
・・・この世を、仮想現実と、見なす とは、無意識領域のものを、意識領域化する、智慧?
・・・この世を仮想現実=空(くう) と、見なすとは、無意識領域を、意識化するための智慧?
・・・で、その無意識領域のキャラ設定を、悟り=愛=神 へと、書き換える?=智慧による悟りへの道?