見るでもなく、愛するでもなく、自分自身を観察する、と、考えてみる。
感覚、感情に、囚われ過ぎると、冷静に、自分自身を、観察する事が、出来ない。
たとえば、好き嫌いが、あれば、自分自身が好き、自分自身が嫌い と、ゆう、感情が、あり、冷静に自分自身の観察が、行えない。
それ故に、仮想現実=空(くう) と、ゆう、定義が、必要になってくる。
全てが、仮想現実ですよ、実体は無いですよ、コンピュータプログラムが、作り出す仮想空間に、アバターと、しての自分自身が、在るのです。
在ると、ゆう事は、意識領域=現実 と、無意識領域=この場合は色界(しきかい) に、よって、設定された感覚=感じ方 に、よって、生み出された認識ですよ。
と、ゆうのが、内観と、ゆう事だと、思う。
・・・たとえば、観望と、ゆうものが、あって、それが、叶うと、ゆう事は、現実化する と、ゆう事。
・・・感覚、感情のない、仮想現実 から、感覚、感情を、伴う仮想現実=色界(しきかい) に、出て来て、色界(しきかい)で、それを現実化する縁が、作られ=シンクロニシティとゆう現象 て、現実化する?
・・・たとえば、色界(しきかい)で、恐怖する、と、ゆう設定を、行えば、怖い現実化になる=何が出て来ても、恐怖すると、ゆう設定を、しなければ、現実化しない=怖い事は起こらない。
・・・色界(しきかい)は、波動の世界なので、一旦、恐怖すると、ゆう設定を、した、と、しても、上書きで、再設定する事が、可能。
・・・不動心=感覚、感情に、心を囚われない、つまり、止観?
・・・だと、すると、止観とは、集中では、なく、空(くう)を、観察する為の、技法か?