般若心経の一節、色即是空、空即是色 と、考えてみる。
これを、独自解釈で、現代風にゆうと、色とは、感覚、感情を伴う、仮想現実、空(くう)とは、感覚、感情を伴わない仮想現実。
と、なるか?
まあ、独自解釈なので、違うとゆう事もある。
たとえば、明晰夢見には、感覚、感情を、伴う、明晰夢見も、あれば、感覚、感情を、伴わない、明晰夢見も、ある。
感覚、感情を、伴わない、明晰夢見は、何を見ても、何も感じない。
そこには、善も悪も、なく、ただ、プログラム=理(ことわり)=因縁 に、従って、物事が展開する。
それが空(くう)性=空(くう)相の把握?
あらゆるものに、空(くう)性が、あって、どんなに、感覚、感情を伴って、喜怒哀楽を、体験する事が出来る仮想現実 でも、やがて、色あせて=感覚、感情 が、薄れて、感覚、感情を伴わない、仮想現実になる。
面白いゲーム でも、段々つまらなくなってしまうみたいな。
つまり、虚しい。
虚しくないのは、喜怒哀楽を体験してる間、ゲームが面白い 間 だけ。
修業するのは、何の為か。
やがて、虚しくなってしまう、仮想現実を、虚しくしない為。
感覚、感情、気持ち、感動、愛、を、無くさない為の修業。
愛=悟り は、虚しくない、あるいは、無くならない、と、ゆう信念を、持つための修業。
虚しくなってしまうと、ロボットのようなものになる。
AI=人工知能 は、虚しい。
人間の知能は、愛=悟り が、あるから虚しくない。
愛=悟り が、あるから、葛藤が、あり、葛藤があるから、煩悩=悩み患う=ストレス が、あり、それ故に、希望も、喜びも、またある。
・・・法悦状態、祝福の状態=魅了された状態? は、当人に、とっては、虚しくない。
・・・まあ、修業するのは、その状態を求めているから?
・・・もし、AI=人口知能 が、愛とか、悟り とかを、持ったら、どうなるか?