明晰夢見の現実は、自分自身を 核 と して、再現された仮想現実 と、考えてみる。


この場合、現実とは、自分自身の感情、感覚 が、中心で、あり、核 と、なっていて、自分自身の感覚、感情の及ぶ範囲は、自分の意識の支配している。


その周りには、自分自身の支配が、及ばない、空(くう)  の領域=仮想現実の領域。


たとえば、明晰夢見でも、数多く見ていると、大体、地図と、ゆうか、その傾向が、定まってくる。


その傾向が、自分自身の領域=感覚、感情の及ぶ範囲 で、ある。


肉体を、自分自身 と、する現実と、違い、仮想現実では、明晰夢見に、出てくる、周りの景色 までも、自分自身 である。


自分自身が、中心で、あるから、空(くう)=仮想現実 の、中を、移動しても、本来、感覚、感情のない、空(くう)=仮想現実 が、まるで、感覚、感情 が、ずっと、あるかのように思えてしまう=本来は、空(くう)=仮想現実、感覚、感情のない世界 で、あるとゆう事を、忘れてしまう?


ちと、分かりにくいけど、丸い球体状のエネルギーが、あって、空(くう)=仮想現実 の、なかを、移動すると、そこ丸い球体状のエネルギーの範囲だけは、感覚、感情を、持った、有情みたいになる、と、ゆう事?


そのエネルギーが、肉体に宿れは、その肉体が、感覚、感情を、持った、有情になる。


そのエネルギーが、肉体から、離れれば、肉体は、感覚、感情を、持たない、空(くう)=仮想現実の本来の姿 に、なる。


夢見も、現実=この世 も、共に空(くう)=仮想現実=感覚、感情 のない世界 だが、そのエネルギー の、領域だけは、感覚、感情のある世界=現実?=実在 に、なる。


そのエネルギーが、神とか、愛とか、ゆうもので、悟りとは、そのエネルギー を、自覚する状態?=法悦状態?


・・・明晰夢見に、何が出て来ても、それが、自分自身の、感覚、感情の及ぶ範囲で、あれば、それは、自分自身の領域にある。


・・・たまに、違ったエネルギー との接触が、あると、明晰夢見の傾向が、変化して、察知出来る?