自分の神に対する、信仰 と、考えてみる。
神名は、無数にある。
たとえば、毒沈も、神名である。
まあ、中には、偽の神名も、ある=自分の存続には関係ない神名 一部の製薬会社にとっては、神?
一神教とは、一部の人々にとっての神?
多神教とは、一部の人々にとっての神名 も、含めて、諸々の神名 に、対する信仰を、否定も、肯定もしない・・・と、ゆう事か?
そのうち、イスラエル信仰とか、アメリカ信仰とか、日本信仰とか、という場合もある。
さらつ世に、生き残るものが、神?
まあ、日本信仰と、ゆう場合は、日本が、さらつ世に、生き残ると、ゆう信仰である。
高過ぎるものは、崩れる。
低すぎるものは、埋め戻される。
高過ぎず、低過ぎないものは、変わらない。
日本は、そう在るべき。
変わらないのは、真=まこと
真=まこと は、神。
・・・自分自身の、変わらない部分は、神=真=まこと で、ある。
・・・それは、自分自身にしか、分からない。
・・・それが、神に対する信仰・・・なのかもしれない。