何も無くても幸せ、と、ゆう、原初の境地、と、考えてみる。
何かがなければ、幸せではない、と、ゆうのは、本当の幸せではない、苦を、和らげるだけの、何か、で、しかない。
たとえば、健康な身体には、医療や、薬は、必要ではない。
医療や、薬が、必要なのは、不健康な身体である。
だから、健康の為に、医療や、薬が、必要と、ゆうのは、欺瞞である=医療や、薬が、必要な時点で、本当の健康な身体ではない。
心にも、同じ事が、言える。
心が健康なら、幸せ。
何もいらない、と、ゆうのは、健康な心 なら、当たり前なのである。
心が不健康に、なると、物とか、お金とか、必要なものが、増えて来る=医療や、薬のようなもの。
まあ、現実的には、身体を、維持するには、飲み食いしなければ、ならないし、不調な時に、医療や、薬を、使う事で、それ以上の、悪化を、防いだり、と、ゆう事も、ある。
しかし、心は、飲み食いを必要と、しないので、心と、身体の、リンクが、切れる=死ぬ、又は解脱する と、心は、健康な状態に、戻る=何も無くても幸せ=原初の境地?=神=愛?
・・・そこを、理解した上で、エネルギー体=病むことも、死ぬ事もない、飲み食いすら、必要としない、身体 を、成就する事 を、目指す?
・・・エネルギー体は、物質体と、何ら、見かけ上は、変わらないが、エネルギー体で、あるから、物質の間を、すり抜けたり、エネルギーである、心に、直接、影響を、及ぼしたりする?