世界を観る、夢見を観る のにも、フラクタル構造である、と、考えてみる。
上には、そのまた上がいる。
下には、そのまた下がいる。
考え方、一つで、自分自身の、位置は、高くなったり、低くなったり、と、ゆう事で、ある。
自分は、神だと、いっても、その神には、また、神の神が、いる。
御山の大将とか、井の中の蛙、とかと、ゆうのもある。
たとえば、一言に、高次元と、いっても、高次元の、定義は、何?
と、ゆう疑問がある。
意識も無い=気が無い、感覚が無い 世界からすれば、感覚のある世界は、高次元だろうか?、それとも、低次元だろうか?
バーチャルリアリティ=アナログな現実を、デジタル技術で再現 の、世界では、感覚の無い 世界より、感覚のある世界 の、方が、プログラムや、データ量 が、異次元=次元が違う ものに、なる。
夢見道を、バーチャルリアリティの世界 と、定義するなら、感覚の無い夢見は、低次元、で、あり、感覚のある夢見 が、高次元 で、ある。
世界は、マトリックス、夢見も、現実も、バーチャルリアリティ なのだと、すれば、より、現実だ、と、誤認させる、方が、高度なプログラム で、あり、高次元な、ものである。
・・・神だから、自分の思い通りに、なる、と、ゆうのではなく、神が、その高度と思えるプログラムを、作った、と、考えるなら、自分自身が、プログラムを、想像、または、作れるようになると、神に、並んだ、と、考えても、良い?
・・・マトリックスから、抜け出す事が、出来るのは、そのプログラムを、理解出来て、自ら創造する事が、出来るように、なる時?