観照とは、シンクロの事だろうか?、と、考えてみる。


世界を、創り出している、量子=気=愛=神=愛エネ は、波動であり、粒子でもある、と、ゆう、性質がある。


波動である時には、一つのもの=形が無い


粒子である時には、空(くう)で有る=微細、極微=色形があるもの


たとえば、粗大、微細、極微 空(くう)=夢見では、感覚が無い夢見


たとえば、愛=神 は、感覚しかない夢見


感覚が無い、空(くう) と、感覚しかない 愛=神=気(き) が、合わさって、夢見を、より、リアルなものに、している?


たとえば、現実=この世 と、あの世 を、隔てる壁 とは、粗大 と、微細 と、ゆう、単位の違いの、壁で、ある、と、考えてみる=顕微鏡でしか見られない世界があり、肉眼では、視る事が、出来ない、と、ゆう壁。


肉眼で、視る事は、出来ないが、感覚では、感じられる=波動の世界には、粗大とか、微細とかの、壁が無い・・・のだろう。


感覚から、それぞれの世界=あの世、この世と、隔てる壁がある世界 が、生まれて来るが、感覚は、一つ=隔たりが無い。


夢見道に、おいては、色形=空(くう) より、感覚=気=気感 が、あの世、この世、を、繋いでいる=シンクロしている、と、ゆう事を、観る=観照する?


・・・感覚の在る、夢見は、現実との接点=シンクロ が、ある、と、思う。


・・・何の感覚も、伴わない夢見とは、気感の無い夢見 で、現実とは、シンクロしていない?


・・・意識の集中=気の集中 で、感覚が高まる なら、夢見の内容 が、現実と繋がって来る=シンクロしてくる、と、ゆう事も、あり得るかも、知れない。