物質も、エネルギーなら、変換を、意識すると、考えてみる。


たとえば、エネルギーから、物質へ、物質から、エネルギーへ、と、ゆう、変換が、可能である・・・のかもしれない。


完璧なエネルギーは、一つのもの、で、あり、形が無く、無限、ゼロ、の、ような、感じで、あり、感覚でしか、捉えられない=感覚そのもの


その感覚を、細分化して、心 とか、思考とか、五感とかに、している?


そして、その完璧なエネルギーは、何処にでもある=遍満。


心のエネルギー では、なく、完璧なエネルギーが、あって、それを細分化して、心が生じ、さらに、細分化して、思考が生じ、さらに細分化して、感覚が生じ、さらに細分化して、色形、物質が、生じる、具合。


その、理解が、出来ると、全てはエネルギー=愛 で、出来ている、と、ゆう事に、なってくる。


色形の無い ところ=存在感だけがある から、心、思考、感覚=五感と、六感 色形が有る まで、変換する=変換する事を、念ずる、と、ゆうのかもしれない。


また、その逆に、色形有るものを、存在感だけがあるエネルギーへと、変換する。


明晰夢見道=サマディ? では、その色形の無いエネルギー が、色形が有るもの、に、変換されたものを、夢見と、して、観ている。


・・・エネルギー=波 と、粒子=物質 の、二つの性質を、持つ量子。


・・・どちらの性質に、なるかは、観察者の影響による?