世間では、霊の働きは、あまり、知られていない、と、考えてみる。


たとえば、人は、死んだら、どうなる、と、ゆうのは、分からない。


多分、幽霊みたいに、なる、とか、夢の中みたいなもの、とか、想像するかも、しれないが、天国 とか、地獄 とかは、何の事なのだろう。


何故、輪廻が、起こり、それから、解脱=二度と、この世に、生まれ出ない、が、出来るのか?


我は無い、の意味とは?


まあ、仮説の一つと、しては、肉体は、実体で、ある。


その、肉体を、失うと、幽霊体=ほぼ幽体 と、ゆう、影のようなものになる。


影のようなものだから、実体が、ない。


我と、思っている、幽体には、実体が、ない=空(くう)


実体が、ない、幽体 の、五感と、受想行識にも、実体が、ない。


これが、空(くう)で、ある。


実体が、ないので、苦しみも、楽もない。


この意味するところは、苦しみとか、楽とかは、感覚なので、ある。


つまり、感覚が、なければ、苦しみも、楽も、ない。


つまり、実体とは、感覚が、ある、と、ゆう事で、ある。


ここで、智慧が必要になる。


実体のない、影=幽体 が、実体のある=五感のような感覚を備える=霊体になる 為の智慧。


それは、観音力に、よる、創造=意志の力によって、五感や、受想行識を、実体化させる?=意成身を、創る。


その、意成身に、よって、神通力への、扉が、開く。


神に通ずる扉、神は愛、愛は悟り、なので、悟りへと通ずる扉=悟りを開く、愛を知る、事が、影なる幽体が、霊体になる為の道。


幽体の世界は、地獄、霊体の世界は、天国。


そして、現世は、その中間にある。


姿形の上では、地獄、現世、天国は、ほぼ同じ、なので、実体のある、なしは、感覚や、受想行識に、愛=悟り が、あるか? で、判断する。


・・・幽体の御魂 に、とって、中間の現世に、生まれ出る事は、影が、実体を、得ると、ゆう事。


・・・現世を、終えて、また、影=幽体 に、なると、また、生まれ直し=輪廻  


・・・輪廻から、解脱するには、生きている内に、霊体に、なる=悟りを開く、愛を知る。


・・・輪廻の終焉=この世の終わり で、幽界に行くか、それとも、霊界に、行くのかが、決まる!!