霊界とゆうところ、何でもあるが、何にもない、と、考えてみる。


たとえば、ラジオや、テレビ などは、たくさんの、番組は、あるが、周波数の、合った、チャンネル で、あれば、それを、見たり、聞いたり、出来るけれども、周波数が、違うと、見ることも、聞くことも、出来ない、と、ゆう事が、ある。


地球上には、たくさんの人々が、いるけれど、その中で、実際に、出会い、話したり、触れたりする人々は、わずかである、と、ゆうようなもの。


まあ、これが、縁 と、ゆう事で、ある。


神や仏 と、ゆうのも、縁が、あれば、見たり、聞いたり、出来るが、縁 が、なければ、ない。


これを、理解する事が、空相(くうそう?) を、把握すると、ゆう事なのか?


霊界に、入ると、自分の、周波数を、変える事は、難しい? 


物質世界では、周波数の違う、霊界のもの同士 でも、物質的な身体=肉体 を、纏う事 で、肉体と、ゆう、共通の、周波数で、縁が、持ちやすくなっている・・・と、ゆう、特殊な、ところがある。


・・・肉体を、抜けた時の、身体は、幽体。


・・・それを、気の力=徳 で、もって、霊体へと、変えていける。


・・・幽体は、肉体を、失えば、やがて、形が保てなくなる けれど、霊体は、気の力=徳 の続く限り、肉体が、なくても、形を、保つ?


・・・徳のあるなし は、霊体に、五感が、あり、四肢があり、思考が、備わっていれば、徳が、あり、五感が、薄く、四肢が、不完全で、思考が、ぼやける、と、ゆうのが、徳がない、と、ゆうふうに、自分は、考えている。


・・・新年で、あるが、巳年の終わり=身の終わり が、世界の終わり かも、と、思うので、幽界御魂 を、霊界御魂 へと、変えてゆける のも、身=肉体 が、あるうちにしか、出来ない?のかもしれない。