観察ではなく、観相である、と、考えてみる。
明晰夢見=サマディ? の状態 で、可能になる。
物質世界の、全ては、エネルギーである、と、言われても、ピンと来ない、のでは、ないだろか?
物質世界 も、霊界も、全て、エネルギー=愛の状態 から、変化して、生じている、ので、相互に、影響しあう。
そこで、観相=観察ではない に、よって、それを、確認する事が、出来る。
明晰夢見状態から、五感があり、完璧な思考を、備えた、身体=意生身 を、造るのも、観相に、よって、である。
たとえば、明晰夢見状態で、自分の思考、五感のあるなし、四肢の状態 を、観察しつつ、意念、に、よって、思考が生じ、意念によって、五感が生じ、意念によって、四肢が生じ、と、ゆうような事を、確認する。
これは、夢見の内容とかでは、なく、どんな夢見でも、明晰夢見に、なれば、可能である。
・・・続く。