世界は愛で出来ている、と、考えてみる。


悟りの状態=愛の状態 だとして、悟りを、無我、と、定義しても、光明と、定義しても、あるいは、原初の音=聖なる音 オーム と、定義しても、良いが、そこから、霊界が、出来て、霊界から、物質世界が、出来てくる。


だから、悟りの状態では、無我になったり、光明を、みたり、原初の音を、聞いたりするのだが、個人の、体験だから、本当に、その状態に、なったのかは、本人に、しか、分からない。


世界の成り立ちを、仮に、定義するなら、悟りの状態では、無我なのだから、自他の区別が、無くなり、相手の事が、自分の事の、ように、分かる、と、ゆうような状態=愛の状態も、同じ が、始まり。


そこから、霊界、明晰夢見=サマディ? の、ような、世界が、出来てくる。


それは、次元で、ゆうと、五次元以上 の、世界で、あり、自他の区別は、ある=我が、ある そして時間の、流れが、曖昧=夢見の内容は、過去のことだけでなく、未来の事も、出てくる。


で、明晰夢見=サマディ? の、状態の、我を、物質世界の我=自我、と、区別して、真我 と、するのだろうか?


まあ、いずれにしても、この、真我の世界=霊界? が、本当の世界=常世 で、あり、自我の住む世界=物質世界は、現し世、仮の世=借りの世、または、無常=常でない 世界 と、する訳である。


そして、霊界の、出来事は、物質世界に、映し出されてくるので、物質世界では、過去の出来事 でも、霊界で、起これば、物質世界の、未来に、似たような出来事が、起こってくる?


このような、法則が、あるのかも、しれない。


・・・睡眠の、状態では、だれもが、夢見の状態 に、なっているが、目覚めと、共に、夢見の、記憶を、忘れる。


・・・瞑想の、状態から、意志の力で、明晰夢見の状態へと、入って行ける。


・・・正しい瞑想の状態 から、正しい明晰夢見=サマディ? の状態へと、移行する、と、ゆうことか?