悟りの瞬間、を、法悦 とか、歓喜、とか、表現する、と、考えてみる。
悟りの瞬間の状態は、愛の状態と、似ている。
あるいは、神人合一の状態 とも、似ている。
まだ、神も、人も、一つで、あった、状態から、原初の状態 とも、似ている。
たとえば、弘法大師、空海が、室戸か、何処かの、岩屋で、何かを、している時に、光明が、飛んで来て、口の中に入った? と、ゆうような、逸話が、あった?
それは、空海が、悟りの状態=法悦=神人合一? に、なったのだろうか?
悟りの状態は、自力、と、他力 が、あり、光明が飛んで来て、それに、なったなら、他力。
禅の、ように、無念無想、と、ゆう、ものは、自力で、ある。
明晰夢見道=サマディ道? では、自力 も、他力 も、両方がある。
多分、悟りの状態は、一つだが、そこに、至る、方法は、色々あるのだろう。
しかし、方法に、よっては、一生と、ゆう、限られた時間の内に、それを、達成する事が、出来る。
・・・地球は、魂の揺り篭 で、あり、その心地良さから、魂を、捕らえて離さない牢獄である?
・・・成長すれば、何時かは、離れる=解脱する・・・事になる?
・・・輪廻する目的は、悟りの状態への探求で、あり、執着だと、すれば、やがて、それを、乗り越えて、解脱する=地球を出て、宇宙に出る・・・みたいな。