明晰夢見状態=サマディ?状態 が、本当の自分で、現実が、仮の自分と、考えてみる。
明晰夢見状態の、体験が、長くなってくると、どちらが、本当の自分なのか? と、ゆうように、なり、肉体が、老いたり、病弱に、なってくると、もっと、明晰夢見状態が、本当の自分で、現実=肉体の自分 が、本当の自分では、無いんだな、と、ゆう、ふうに、思えてくる。
その頃には、明晰夢見状態の、記憶が、蓄積されて、明晰夢見状態の自分が、普段、何を、しているのか? と、ゆうのも、把握している。
たとえば、現実を、顕在意識の領域、明晰夢見状態を、無意識の領域 と、して、その無意識の領域の、中にも、顕在意識 と、繋がる=記憶を、共有する ところが、出来ている、と、ゆう、具合で、ある。
まあ、繰り返し、同じような夢見を、体験する、みたいな、感じ。
現実でも、日課=ルーティン が、あるように、明晰夢見状態 でも、それが、ある。
その、ルーティン から、外れ、しかも、ヌミノース=神秘体験や、畏怖を、感じる 内容 の夢見 の、場合は、何らかの、メッセージが、ある、と、理解している。
その、場合、先ずは、現実=肉体がある 方で、何が、起きているかを、調べて、引っ掛かる事が、あれば、夢見の内容との、シンクロが、あるかを、観る。
観照 と、ゆうのか、照らし合わす と、ゆうのか、現実 と、明晰夢見 は、それぞれ、別々では、なく、繋がっている、と、ゆうのを、実感する?
・・・観察する、から、観照する に、なってくる=夢見も、現実も、同じ であり、本当の自分が、夢見で、仮の自分が、現実、そして、それは、シンクロしている、と、ゆう事?