明晰夢見道=サマディ? において、シャドウの危険性とは? と、考えてみる。
ユングが、仏教を、研究した、と、いっても、特に、明晰夢見道=サマディ? に、ついて、研究していて、およそ、これは、仏教じゃない=否定 と、思うかも、しれないが、明晰夢見=サマディ? から、悟りに、向かうなら、かなり、有益な、情報で、ある、と、思う。
気のエネルギーを、視覚化する、丹光から、始まり、明晰夢見道=サマディ? では、様々なエネルギーが、様々な現実の人物や、空想の人物の、姿形を、借りて、登場する。
その中に、シャドウ と、ゆうものが、ある。
まあ、勝手に定義すると、自分と同性の登場人物 で、自分を、抑圧、否定 しようとする、存在。
自分=自我意識=顕在意識 とすれば、無意識の自分 で、ある。
アニマ、アニムス=クンダリニー、クンダリヌ? の、活発化と、共に、シャドウ=自我意識を、抑圧、否定 しようとする、無意識の自分 も、活発化する。
たとえば、思春期に、なり、異性を、意識し出すと、恋敵が、出現して来る、ような、もの。
シャドウの、活発化に、より、自己否定、自己嫌悪 などの、感情が、増大して、情緒不安定に、なる。
明晰夢見道=サマディ? に、おいては、アニマ、アニムスとは、統合、和する が、シャドウ とは、徹底的に、争う事になる。
この、争い に、負けると、自己否定、自己嫌悪が、強くなり、それが、現実の運命にも、影響する。
・・・顕在意識 と、無意識の統合 が、サマディ から、悟りへの 道筋 であり、それを、邪魔する、存在=エネルギー が、シャドウで、ある。
・・・シャドウと、争い、勝つ事に、より、光輝く、自分=顕在意識 に、なる?
・・・これも、現実と、混同すると、問題に、なる。
・・・シャドウは、自分を、磨き上げる為に、登場してくる=悟りに、向かうなら、避けては通れない。